妻出産なので会社休みます

男性の育児休暇の取得義務化の検討が遽に話題になっています。

タイムリーにも、今回我がパートナーは、転職に伴う有給消化で、出産からおよそ一ヶ月半フルで家にコミットできることになりました。振り返れば本当に助けられた産褥期。男性の育休取得、是非進んでほしいと言う思いを込めて、いくつかのエピソードのご紹介◎

これからパートナーが出産を控えている方、そんな人を部下に持つ管理職の方にヒントになれば幸いです◎

作戦その① とにかく共に起きる

我がパートナー

(☆話変わりますが、

最近、話題のYouTube「貴ちゃんねるず」にハマってます。アメリカで使っていたテレビを持って帰ってきているので規格が合わず日本の地上波を見れない我が家、もっぱらテレビはNetflixやAmazon Primeだけで、だいぶ日本の「バラエティ番組」からはご無沙汰していたのですが、「貴ちゃんねるず」を見て久しぶりに面白い日本のバラエティ番組を楽しんでいます。そして、この番組の演出として登場するマッコイ斎藤氏を初めて知ったのですが、我がパートナーと、名前、体型、世代、丸み、童顔フェイスといった点で私の中でかなりシンクロ。結果的にマッコイ斎藤のファンになりました。愛の不時着のリジョンヒョク氏に続いて今年の私の中での顔となっています。というわけで(?)便宜上以下夫をマッコイと呼びたいと思います❤︎

閑話休題)

は、第一子のときも、第二子のときも、夜中の授乳時には起きませんでした。彼曰く、泣き声が聞こえない、、、と。

いやいや、それ、ほんと、危機感というかセンサーを立てるかどうかの問題だからーーーー!怒

というわけで、今回これまでの反省からか?!、うちのマッコイは、産後一ヶ月の最も大変な夜中の授乳時にこんなことをやってくれました。

おっぱいないからやることない?!

といいつつ、夜中の授乳なんてミルクならまだしも母乳だったら男はやることないんじゃない?とおもいますか?いえいえ、そんなことありません。

うちのマッコイは「育休」プラクティスの一つとして、夜はこんなことをやってくれていました。

①起きたらまずおむつを変える。その間私は頑張って目を覚ます&水を飲んで授乳にむけた体制を整える。
(解説:お産という戦いにおける負傷兵とも言えるこの時期、わかっちゃいても赤ちゃんの泣き声が聞こえてから起き上がるまでが、本当に辛い。最初の第一歩がなかなか出来ない。ので、サクッと起きてオムツ変えるね、と言ってくれると、「私も起きなきゃ」と思い気合いも入るし、何よりも頑張ろうと思って起き上がれるのです)

②私の膝に授乳用枕が乗っかって&授乳カウントのアプリをセットしたら、Babyが運ばれてきます。右乳からスタートするのか、左乳からスタートするかも確認の上渡してくれる達人っぷり。(解説:赤ちゃんに合わせて行う授乳は、毎回両方の乳から飲んでくれるとは限りません。前回飲んでいない(飲んだ時間が短い)方から授乳をスタートしないと、おっぱいがぱんぱんになって乳腺炎になってしまうのではという恐怖に駆られます。なので、このどっちの胸から始める?という質問は結構大事でして、あげる乳の方向に赤ちゃんをセット?して渡してくれるとなんかそれだでプレシャス★に感じるのです)

③授乳中は、休憩OR元気なときは横にいて話しかけてくれる。(解説:我が家の場合、大体一回の授乳は20分。確かに赤ちゃんは可愛い。しかし20分、可愛いなという思いだけでは乗り切れません。いいかげんYahoo!ニュースも見飽きるし、動画見ると自分もこの後眠れなくなるので、横にいて話し相手になってくれるのは大変ありがたいのです)

④授乳後は、「げっぷしようか?」と聞きにのそっと現れるうちのマッコイ。これに甘んじて私はすぐにベビーを預けて眠る。そして1分でも長い睡眠時間を確保し体力回復を図る。(解説:やっとおっぱいを無事に上げ終わったと思っても、この後さらにもう一仕事=ゲップが待っています。この部分を引き受けてくれることは、特によく吐乳する我が子たちのようなBabyを相手にするときは本当にありがたいのです)

という感じでした。少なくとも一晩に何回かある授乳タイムのうち一回はこのオペレーションをやってくれました。

アピール好きの本人は、「一人じゃない感じでいいでしょー?おいらすごいでしょー♪結構良い父親じゃない?」とアピールしまくってましたが、、、たしかに救われました。心身共に。

産後は体がボロボロなんです。

毎度産んでから気づく(思い出す)のですが、産後は心身ともにボロボロ。今回はこれまでと違って無痛だったし、日本だから入院期間も長かったし、コロナ禍により面会禁止でのんびりとした入院だったにもかかわらず、私も年齢を重ねているせいかヘロヘロ。。。そもそもまともに歩けず退院後もまだまだ骨がバラバラの感触。。最初はおっぱいもでず乳首も切れるので、授乳は幸せの時間でもなんでもない。戦い後の負傷兵が、自分の怪我を顧みず仲間のさらに重篤な患者をサポートする、そんな感じです。(中国では産後1ヶ月授乳以外はとにかく横になるべしと言われてる、と香港にいたときにママ友や同僚に言われたほど。)

まして産褥期の夜中の授乳は、多い時は何度も繰り返され、辛い。

そんな時間を、一晩のうち一度でいいから一緒に過ごしてくれることで安心感が生まれ孤独感が減りました。

これは大きい。二人で起きるのは効率悪く、家族全体のアウトプットは下がってるかもしれませんが、それでも産後の不安定な気持ちの中でただそこで寄り添ってくれている安心感は大変ありがたいものでした。

もし休みをとっていなければ、翌日に響くのでそんなことやらないでいいよ、と思いますし、むしろ、起こさないようにそーっとなく赤子を連れて他の部屋に逃げ出すのですが、

この人休みだーって思うと

思いっきり甘えられます。

育休取得したって役立たずなら意味ないとの意見が朝のワイドショーで出ていたとのことですが、いやいやいやいやいやいや

夜中に一緒に起きてそばにいてくれるだけでも、産褥期のヘロヘロ母ちゃんにとってはありがたいのです。

続く

お久しぶりです★2年2ヶ月ぶりブログ再開します

最後の投稿が2018年の7月なので、早いものですでに2年と2ヶ月が経過してしまいました。その間私は約6年間に及ぶ海外ワーママ生活にいったん別れを告げ日本へ帰国、楽しくがっつり働きながら家族でワイワイやってきました。今夏幸いにもこどもがひとり増えて、5人家族新体制となっています。

新生活にかまけて放置してしまっていた本ブログですが、ありがたくも時々コメントを頂いており(完全に放置してしまっており、本当に申し訳ありませんでした。。。。)全く更新せずとも、悩んでいる方の声が届いているのを読んでいたら、ほそぼそでも再開しようかと思った次第です。

久しぶりに見た日本、NYC及び香港を経たから見えてくる景色、コロナ禍の中で感じたこどもの学校のこと、保育園のこと、11年振りの東京での出産・新生児育児など、気づいた点がなんだか溜まってきたので、重い腰をよいしょとあげたいと思います。

今月、産休終了後から職場復帰の予定なのでそのへんのアドベンチャーも書いていけたらと。

読んでいただけますと幸いです。

ツレが主夫になりまして(3)

ツレが主夫になったことで思ったことをつれづれと。第三弾。

ツレが家にいるようになって1週間、ツレが主夫になりましてでかいたように、家のことをしない(できない)夫に対して、あなたが全部やってくれーーーと思ったと書きました。1ヶ月が経つ頃には、相変わらず脱いだものぬぎっぱなし、食べたもの下げない、飲んだコップはおきっぱなし、、、とあいかわらず家事をやろうとしない夫に対して怒りが頂点に達し、「家いるんだから、家事のひとつもしたらどお」と喧嘩を売ったところ、返ってきた夫のひとこと。

「別に家事をやるつもりで主夫になったわけじゃないから、その点は期待するほうが間違っている」と。

えーっと

んーっと

そうか、、、、

え?!そういうもんか?

彼いわく、

  • 自分は君の期待値に満たすほどの家事はできないし、やる必要があるとも思っていない。
  • 必要な最低限の家事については外注する。その分節約して、全体の出費に変更はないのだからなにか問題はあるか。予算と実績の管理をしっかりしているから問題ない(それよりも我が家の財政の収支についての全体感をもって予実管理をできていない君の方がよほど問題。)
  • 主夫は家庭のマネージャーであって別に家事専門業者ではない。こどもも含めて家族みんながよりハッピーになるように貢献するのが大事なのである。

と。

むむむ。。。。

ということで、彼が主夫になって出来た時間で、家族みんながよりハッピーになるようにということで

  • 子供たちをスクールバスまで毎日見送る。
  • 私をバス停まで毎日見送る(なんならオフィスまで送る)(通勤時間を有効活用し、夫婦の話す時間を確保するため、とのこと。)
  • 子供をほぼ毎日プールにつれていく。

ということを励行していました。

私は育休中、ご飯をいつもより少し凝って作ったり、家をきれいにしたり、と「家事」負担部分を増やして家族への貢献度を上げたつもりでしたし、それが主婦に当然求められている仕事と思っていました。収入も減るわけだから当然外注なんてできないし。

でも上述のような主張をされると何も言い返せず。住み込みのお手伝いさんがいるという香港の特殊事情が絡んでいるのだと思いますが、彼の場合日本でも同じことを言うと思います。

そういえば、アメリカであった専業主婦のママ友も「家事は私のやることではない」と言い切っていました。子供と接する時間とか、他にやりたいこととか、自分の人生を豊かにするためには、家事に大量に時間をとられるのは明らかにあほらしい、と。

んで何が言いたいかというと、夫のような考え方は少し極端ではあるけれど、日本人のママたちは、少し肩の力を抜いてもいいんでないかなあと思うのです。家をいつでもキレイにして見た目もキレイにしてこどもたちの世話も全部ひとりでやって。それで疲れてしまった人たちに、

主夫の仕事は家事じゃない、

そう言い切る我が家の愛すべき主夫のぶっとび主張をすこしシェアできたらなあとおもいました。

ツレが主夫になりまして(2)

ツレが仕事をやめました。第一回は思わぬ反響を頂き大変ありがたかったです。あまりない事例かなあと思ってましたが、意外と同様の経験をした人多数ということでそれも新たな発見でした。パートナーが主夫になったことに伴って気づいたこと、第二弾を書いてみたいと思います。

「仕事を辞めた」に対する反応

何よりおもしろいなと思ったのが、「仕事をやめた」と夫が皆につげるときの反応が日本人とそうでない人でだいぶ違うことでした。

夫曰く、「仕事やめたんですよ」と伝えると、多くの日本人が反応に困るかんじだったとのこと。無言か、「あ、そうなんですか、、、、」と。

私も「ダンナ、仕事やめて今主夫やってるんですよー」というと、日本企業に勤める日本人の多くの方の最初の反応は、すこし言葉につまりながらの「。。。え、そうなの?!」でした。わたしとしては、「あれ、別に楽しい話題なのだけど、間違えた話題だしちゃった?」と思って話したことを後悔したりしてました。

一方で、日本人でも外資系や新興日系企業に勤める人たちや、欧米の人たちの反応は、「おおお!!!おめでとう!!!!!」といった超前向き反応。次々と握手しながら「おめでとう!」とか、「よくやった!」とか、「うらやましいぜ」という反応なのでした。

この違いは如実ですごいおもしろかった。

転職・退職=良いこと?悪いこと?

おそらく、多くの日本人の潜在的な認識として未だに「転職・退職」=通常から外れること→「大丈夫なのか?」→あまり触れちゃいけない話題の可能性高い→言葉に詰まる、ということになるのではないかと想像します。

一方で、転職・退職が身近にある世界に生きている人たちは、転職・退職→新たな人生のステージへの挑戦→おめでとう!、ということになるのではないでしょうか。

語弊を恐れずに言えば、Traditionalな日本人にとって転職・退職は比較的「負」のイメージであるのに対して、欧米や転職・退職・解雇が当たり前の欧米人や金融マン、それから若い世代にとっては「明」のイメージであるように感じます。それが、「退職宣言」の後の反応の違いにあらわれていた気がします。

ツレが主夫になって気づいた事象その2でした。

 

あとがき(蛇足ですが):終身雇用は悪くない、けど、それがすべてではない。

最近、伝統的な日本企業で勤める知り合いが転職をするというのを聞きまして、たまたま退職直前に話をするチャンスがありました。開口一番「そういえば、退職されるんですよね、おめでとうございます!!!Excitingですねー♪」と話したところ、彼の第一声は、「若い人はそういってくれるんだよね」でした。
私「え、そうなんですか」。彼「特に上の方の世代はね、いろいろ言われたよー」と。

終身雇用を前提としている日本企業は、いい面もあるし、悪い面もあるでしょう。そんな議論は官民ともに、学者たちも交えていくらでもしてますからここでは触れませんが、やはり、日本の終身雇用「神話」は根が深いんだな、と夫の退職を経た周囲の方々の反応の違いで実感。

日本はもはや終身雇用が前提の社会とは言い難いかもしれませんが、それでもまだまだ労働者保護は手厚く、終身雇用が前提となって人事組織制度を構築している日本企業が多いと考えます。そんな企業では、まだもらってもいない数カ月後の給料を家の財産管理計画で考慮に入れることができる、それはとても幸せな環境で、そこから生まれる会社への忠誠心や安心感もあるのは事実。皆が長く勤める前提だから、会社も多くの社員に平等にトレーニングの機会を与えて投資する。だから、組織の外にあえて出ようとする人は、「変わり者」であり、「はみ出し者」であり時として「裏切り者」と考える人がまだまだ多いのかもしれません。

でも、それってやっぱりちょっとちがうはず。

多くの日本人にとってやっぱり転職・退職・主夫って珍しい。そんな、「人と違うこと」をする人に、おお!頑張れ!やってみろ!と自然にいえる力がもう少し日本の文化に根付けばいいなあと思ったのでした。

ツレが主夫になりまして

パートナーが仕事を辞めました。

第一子の出産日、陣痛中に最終面接を受けて入った会社を退社。正確にはまだしばらく従業員ステイタスは残ってるようですが。人生50年と思ってearly retireを目指していたものの、ある日の夫婦の会話で、人生100年時代だとはなしたことがキッカケで、新たなチャレンジをしてみようと思ったよう。

一方で、わたしにとって、はじめて、自分だけが外で働くという状況になったため、これはなかなか面白い体験なわけです。何回かに分けてこの体験について書きたいと思います。

今回の気づきその1.
おそるべきことに変わる自分のマインド。

これまでのわたしは、専業主婦が家にいる場合に、家のこと全てを妻に委ね、それを当然と思っている男性に対してかなり否定的な見方をしてました。専業主婦は、家のマネージャーであり、家事や育児の専任担い手でもない。当然パートナーたる旦那様は、家事育児の分担をすべきであると強く思っています。

ところが!!夫が仕事をやめたら、どうでしょう!

正直に言って仕事してないんだから家のことはもっと自分でマネージしてハンドルしてくれー”と思ってしまったのです!!!

これには自分自身でも、自分の信念主張と、ここにきて出てきた本音の乖離に驚きショックを受けました。

彼は、子の教育には無茶苦茶熱心だし、育児に関してはかなり協力的というかむしろ主力だったわけですが、それでも、やはり主夫初心者。産休育休を合わせると合計一年以上主婦歴のあるわたしからみるとまだまだひよっこ。家事能力についていえば私の力には到底及びません。

最初の一週間、二週間は、しょっ中家事育児お手伝いさんのマネージについて、質問やクレームがきて、いらいら。家のことについて夫に相談しても流されていたりして悲しかったり悔しかったりした自分の過去の経験をすっかり忘れているわけです

いつのまにか、”家のことはすべて家にいる夫がやるべき”というマインドが自分の脳内を支配してしまった結果です。

そして、このマインドが生まれた結果、なぜか、仕事にコミットする時間が増えて残業が増えました。年度末で仕事が忙しいのもあると思いますが、たぶん、それよりも、家のことをやらなくては、早く帰らなくてはという、強い危機感が減り、仕事の時間の使い方が変わったのではないかと思います。

これは、良くない。

自分が非難していた、古典的ジャパニーズサラリーマンになってる!!

この不衛生なマインドは、自分が外で稼いでいるんだから感謝しろという間違った意識、誤ったエゴが生み出しているような気がします。

そして気づいたのは、誰しもこの状況に陥りかねないということ。共働きの働く母ちゃんを続けてもうすぐ9年となるわたしですらそうなるのですから、結婚当初からパートナーが主婦/夫の方や、古典的な日本企業に努めるサラリーマンの方は同様の感覚に簡単に陥るのではないでしょうか。

とすると、いくら、育メンの広がりを目指して意見を発信しても、これは根が深い問題です。

この自分の中で芽生えかけたマインドの芽を除去する方法はなんだろうか。自分は除去することができるのだろうか。夫が主夫の間に解消すること、解決の糸口をみつけること、これはわたしの目標です。次回は、夫が仕事をやめたときの反応について書きたいと思います。ではまたー。

追記:ちなみに、現時点でぼーっといろいろ考えていたところ、結局、家族が一番だという考えを持つこと、会社に縛られないということ、なのかなと思っています。

仕事は、仕事。労力を伴うからその対価として金銭を得ることができるもの。つらくて当たり前。

家族って何も見返りを求めなくていい、安心して帰れる場所。日本の職場は、ある意味で、快適で家族みたいなところがあるけれど、ボーダーレスの世界になっていったら、そんな悠長な姿勢ではとてもじゃないけど勝ち残っていけないのが事実かと。だから会社も変わりつつあって、組織が家族のような存在になっていた日本の伝統的な世界は終わりにならざるを得ないのではないかと思う。ワークライフバランスが叫ばれだしたのも、結局は、そこじゃないかな。日本の経済力の緩やかな弱体化で、会社に余裕がなくなり、共働きが当然になり、結果的に、本当の家族に主軸を置かなくてはもたなくなっていっているのではないかな。

夫が主夫の時間が長くなるほどいろんな感情や考えが自分の中で巡っているので、この点はもう少し時間がたってから整理してかいてみたいと思います。

住み込みのお手伝いさんとの生活ってどんなもの(3)

書く書く詐欺とパートナーに揶揄されそうなくらい、前回記事投稿から時間がたってしまいました。最近の気になる話題でいくと、元SMAP3人の72時間ホンネTV。Yahooニュースで流れてくる情報をみていると、単なる芸能人のゴシップネタではなく、長らく伝統的な日本企業に勤めていた人が、自分のやりたいことを求めて悩んで悩んで悩みぬいて、覚悟して、会社を辞めて、多くの困難が待ち受けているのを覚悟のうえで、前向きに頑張ろうとうする人のように見えてきます。Abema TVの存在すら初めて知った私ですが、最後のフィナーレで彼らが流す涙が、なんだかとても身近に思えて、なんだか勇気をもらっていました。SMAPファンでもなんでもないけど、そんな勇気をもらった人、多かったのではないでしょうか。

さて、住み込みのお手伝いさんとの生活ってどんなものか、今日は最終回の第三回。お手伝いさんとの生活にともなう、悩ましいこと&ありがたいことについて書きたいと思います。

悩ましいことーまさにマネジメント能力が求められるー

小題に集約していますが、お手伝いさんとの生活において、あなたに求められるもの、それはマネジメント能力です。

香港にきて、はじめて、わたしは仕事で、香港人の部下を10人以上持つことになりました。毎日四苦八苦していますが、家庭でも同じことが求められているなと痛感。

何が一緒か。すべて、です。

どこまで裁量を持たせるか、どこまで判断を信じるか、どのように信頼関係を構築し良いチームビルディングをするか、コンプライアンス問題を起こさないシステム作りはどうするか、文化的差異をどう乗り越えるか、どこまで不満や要望を聞きいれるか、どうやって働くモチベーションをキープさせ続けるか、舐められないために・嫌われないためにどうするか、、、

これらすべてのことが、仕事上のマネジメントでも、家庭内でお手伝いさんのマネジメントをするうえでも一緒だなあと感じるのです。

世の中巷にあんなにマネジメントのノウハウ本があふれていることからもわかるように、皆苦労するマネジメント。

まして、会社のようにアセットやルールが整っている状態とは違う家庭で、しかも何よりも大事な子供の命を預ける以上、マネジメントに伴う緊張感・大変さは職場よりも大きいともいえるかもしれません。国も文化も育ってきた環境も違う人を雇うというのは、それなりにエネルギーを使うことは言うまでもありません。

ちなみにテーマはもう上げだすときりがない。しかもむちゃくちゃ細かいことまであげられます。笑

①お財布を預ける中、どこまで買い物内容を把握するか、②部屋にWebカメラを設置するか、③休暇はどこまで認めるか、、、

(ちなみにわたしの現状は以下のようなオペレーション。①→毎回レシートとお釣りと内容をチェック。お釣りがあわないときが、連続した場合のみ、聞く。②→部屋にWebカメラを設置しているが、ほぼ見ていない(見ると気になって仕事にならない)③→法定休暇よりも多くの休暇を付与(自分が旅行がいないときに休んでもらっている)。これが働くモチベーションになると信じて。閑話休題。)

私が素敵だな、と思うママたちは、「そんなの気にしなくていいのよーーー、お互いハッピーに暮らせればそれでOK」と超さっぱりしているのですが、当初私はそんなこと言ってられず、色々ぐちぐちと悩んだりしたものでした。でもようやく最近は慣れてきたかな。

パートナー、キレる

私があまりぐちぐちと家庭内マネジメント業務について悩んでいると、たいていパートナーがぶち切れます。

「なんのために雇っているんだ、悩みを増やす為じゃない。悩みに使っている時間にあたる自分の時給を考えろ」と。

そりゃそうだな、と思ったし、その言葉は、仕事上のマネジメントでも結構役に立っています。

彼、曰く「最悪、子供が生きてハッピーでいれさえいればいいんだ。」と。むむむ。。。ちょっと割り切りすぎな気がするけど、ひとつの考え方だなと思うし、それくらいの覚悟を持っておかなきゃいけないのかもなと、それを言われるたびに思います。

お手伝いさんがいてありがたいこと

これも上げたらきりがない。ありがたいことだらけですが、ひとことに集約するのであれば

お手伝いさんがいるから、「自分のやりたいこと」に時間をそそげる、こと。

逆に、子供がいて、家事育児共に母親の双肩にすべてかかってくる状況だと「自分のやりたいこと」に時間を思い切りそそぐなんてこと、よほどの超人じゃないと無理。

よく、香港やアジアで生活していた人が日本に戻ってから、外国人労働者のヘルパーを受け入れることが、女性活用の活路となると、と主張しているのをみますが、それは、まさにこのことでしょう。仕事がしたい人は、出来た時間を仕事に回せるし、仕事以外の趣味をしたい人は、趣味に回せる環境ができるのです。

また、香港では多くの家庭でお手伝いさんがいるのが普通で、「家事育児→親がすべてやらなければならないもの」という(私が思うに超時代遅れな)価値観がないので、女性の気持ちを軽くし、自分のやりたいことに向き合って進んでいこうとする女性が増やしているように思います。

わたしのように掃除洗濯が大大大嫌いで、家事積極的外注主義にも記載しているように、日本に住んでいた頃から(今のように家事の外注があまり騒がれていない7年前より)がんがん外注していたわたしとしては、「自分のやりたいこと」と家事育児との間でバランスをとりながらキラキラしているママが多い社会は生きやすいし、お手伝いさんがいてくれることを有り難いなと思っています。

それから、もう一つ、他人と暮らす、というのは、それだけで自分の人生を豊かにしてくれます。香港に住まなければ、フィリピンの人と一緒に住むことはなかったでしょう。一緒に暮らすことは、彼らの母国での暮らし、文化について身近に学べるチャンスでもあり、私の視野を広げてくれています。それはそれで楽しいものです。また、先に挙げたように、良い意味で家でもマネジメントの訓練をしているわけですから、仕事でも、ここで鍛えたスキルを活かすことが気がします。

外国人のヘルパー受け入れ、日本の社会になじむのか

実は香港でも、外国人のヘルパーの受け入れが進んだのは、1980年代以降で、1990年代-2000年代に急激に進んでいったといわれておりそんなに長い歴史があるというわけではありません。女性の社会進出が増えていったことに相俟って外国人ヘルパーも増えていきました。

香港人の間でも私の世代の同僚と話すと、ヘルパーがいない中で育ったという人は多いので、こんなに急激に多くの家庭でふつうに雇うようになったというのは、2000年代以降の話といえるのではと思います。と考えると、日本社会でも、ビザの壁がぐっと下がれば一気に広がる可能性もあるかもしれません。

ただ、人口減→外国人労働者、人口減→女性の社会での活用→家事は外国人労働者、という安易な考えで施策を進めるのは絶対にやめるべきだと私は思っています。リモートでしか日本の状況はわかりませんが、今の報道をみていると、あまりにも議論がされていない気がします。

トップダウンで進めてはじめて道ができて進めていって成功するというケースも多いですが、このような制度導入は、日本国民だけでなく諸外国の人々の生活・幸福に直結する話です。あとから、ハイヤーメタ、で済む制度設計の話ではないというのが私の持論です。制度を作る側の官公庁の人々は、外国人ヘルパーを雇って一緒に生活するといったことをしたことがない人ばかりだと勝手ながら想像します。だからなおさら、議論を尽くしてほしい。それが私の願いであり、この3連載を書いた大きな理由の一つです。

住み込みのお手伝いさんとの生活ってどんなもの?(2)

香港で、共働きをする以上、住み込みのお手伝いさんは必須。住み込みのお手伝いさんの多くは、フィリピンやインドネシアといった外国からの出稼ぎ労働者です。日本でも、家事や介護といった分野について、外国人労働者受け入れという話が広がりつつある中、外国のお手伝いさんとの共同生活について、前回(住み込みのお手伝いさんとの生活ってどんなもの?)に引き続き、ご紹介します。

今日は実際の生活について。

お手伝いさんは、どこに住むの?

香港の場合、お手伝いさんは、住み込みでなければなりません。別の家の住んで通い、というケースも多いですが、それは違法です。ではどこにすむのでしょう?我が家の場合は、アパートにMaids Roomがついているので、そこに住んでもらっています。我が家のMaids Roomはかなり平均より広い方だと思いますが、それでもだいたい三畳程度の部屋です。トイレ兼シャワーがついています。

Maids Roomがついている場合は、そこに、部屋が余っている場合は、部屋に住んでもらうケースが多いと思います。部屋がない場合は、子供部屋で一緒に寝ている、とか、リビングのソファーで寝ている、とかそういった環境になってしまっているお手伝いさんも多いようです。

こういったお手伝いさんの住環境については、しばしば問題視されています。雇用主の家への居住が法律で義務化されたのは、2003年以降であり、そもそもこの義務自体が、お手伝いさんの基本的人権を侵害しているという声もあります。雇用主によっては劣悪な環境しか与えられないケースもあり、この点はわたしもしばしば、我が家はハッピーな環境を提供することが出来ているのだろうか、と悩ましく感じることもしばしば。

いつからいつまで働くの?

勤務時間についての法定はありません。非合理的で、虐待であってはならない、という抽象的な制約がほどこされているのみです。

我が家の場合は、平日はこどものお弁当の準備をする時間からこどもが寝る時間まで、お願いしています。仮に、両親いずれも残業で遅くなった場合は、うちの子供たちが寝た後も、自身の部屋のドアを開けて、子供たちが泣いたら聞こえるようにしてくれています。

正直、他の家庭よりも大変だろうなあと申し訳ない気持ちですが、こればかりは仕方ない。彼女が起きる前には起きるように心がけ、できるだけ早く家に帰るようにしています。

何をしてもらうの?

これも、各家庭によるところが大きいところ。私は、子育て、家の掃除、ごはんづくり、買い物、送り迎え等々なんでもお願いしてしまっています。とにかく、家事・育児全般です。日本にいたときよりも、仕事に充てられる時間や、休息に充てられる時間は増えました。

日本人の家庭は料理は引き続き母親が担う、というケースも多く、我が家も当初は完全に私が担っていましたが、最近では、夕飯の準備はお願いしてしまっています。とはいえ、やはり、食事はどうしても気になるのは、日本人だからか。

それから、教育については、我が家はどうしても、日本語教育・英語教育になるので委ねていません。

休日は?

休日は、週に1回というのが法定されているほか、継続勤務年数に応じて年間の有給休暇数が定められています。勤務年数が1年の場合は、年間7日。

日本の場合は、基本的には、雇い入れの日から6か月経過しており、その期間の全労働日の8割以上出勤している労働者は、10日間の年次有給休暇が付与され、継続勤務年数が増えるごとに、この日数は加算されています。これに比べると少ないですが、そもそも、お手伝いさんに認められる有給休暇数というのは、香港の労働法で法定されているもので、お手伝いさんに限らず適用されるものになります。香港は労働者保護がかなり低い法制度となっていますので、そもそも日本とはその点が大きく異なる点といえるでしょう。

有給休暇を除けば、多くのお手伝いさんは、日曜日にお休みをもらっています。なので、日曜日、香港の町中を歩けば一目瞭然。多くのお手伝いさんたちが、思い思いにつどって、遊歩道の端に座ったりしてミニパーティーをしたりしています。楽しそうなグループをみると、元気をもらえますが、ただ、段ボールを敷いて日陰を作って寝転がって休んでいる人をみると、複雑な気持ちになります。

我が家のお手伝いさんは、とてもきれいな方で、おしゃれさん。普段は全く化粧をしていないですが、休日はここぞとばかりにめっちゃおしゃれをして出かけます。しかも、きれい。そのギャップにプロ意識を感じるわたし。

食事は?

食事は、シェアするか、シェアしない場合は食費(最低食費は法定されています)を給与と一緒に支払う必要があります。彼女の希望我が家は食費を払っています。

といっても、これも悩ましくて、食費は法定されているとはいえ少なく、現在の法定最低食費は月額HK$1037(約1万4600円)。うちから徒歩圏内の唯一のスーパーは、かなりお高いので、この食費は一気に消えるはず。なので我が家のお手伝いさんは、週末どっかで買ってきたり、少し遠出して買い物にいったりしています。わたしも、ときどき、これ食べる?といってシェアしたりしながら。

食事の収納場所は、冷蔵庫の一段をお手伝いさんに渡して使ってもらっています。

食事は、お手伝いさんは、別にとっています。これも各家庭によると思いますが、我が家は食事中の会話は日本語にしたかったので、食事は別にとってとお願いしました。二人目の子が食事をするようになってからは、我々の夕食の間、お手伝いさんには、息子の食事対応を手伝ってもらっています。ありがたいことこの上なしです。

こどもの世話は?

我が家は、両親ともに日中全く家にいないので、その間のこどもの世話はすべてお手伝いさんに委ねています。

上の子のスクールバスピックアップ、習い事への送迎、下の子のお世話、すべて。彼女抜きでは何も回りません。上の子は学校にいっているのでいいですが問題は下の子のお世話。おそらく、日中赤ちゃんと二人きりだと気が参るだろうと、積極的にプレイルームに出かけて、とお願いしたり、マンションの住人用のプールの利用カードを渡してプールに一緒に行ってもらったりしています。

また、最近では、近くのプリスクールが提供している、プレイグループに申し込んで週三回1回2時間のお遊戯クラスに連れていってもらっています。このプレイグループ、実は、私自身は、一度トライアルで行っただけ。あとは一度も顔を出したことがなく(平日日中ゆえ)、同じプレイグループのお友達の誕生日会に招待されて初めて行ったところ、「〇〇(うちの息子)が、日本人だって知らなかった」と言われました笑。プレイグループに参加しているこどもで、親と一緒の人こどもと、お手伝いさんと一緒のこども、大体は半々だそうな。

総括

具体的な生活運営のところは、こんなところでしょうか。

ちなみに、ある香港人家庭では、「食事を別にするのは、ちょっと。。。我が家は食事は絶対シェア、そのほうが安全だから」と言っていました。それを聞いたとき、少しひやりとした冷たいものが背中を走りました。それと同時に、確かにそういう見方もあるよな、と思いました。

それくらい、他人を、しかも違う環境で生まれ育った人を、家にいれて一緒に生活をして、こどもの命を預けるというのは緊張することです。制度も何もなく、他人の目が届かない家という密室空間で委ねるので、国や地方自治体がきちんと制度構築をしている日本の保育園とはわけがちがうのです。すべて自己責任の世界です。

雇っているお手伝いさんを信じてないの?と非難が出るかももしれませんが、私は、上記のような意識を持つ覚悟がない以上は、お手伝いさんを雇うというのはやめるべきだと思っています。

そういったところから来る悩みも含めて、お手伝いさんとの生活にともなう、悩ましいこと、ありがたいこと、については次回お伝えしたいと思います。

住み込みのお手伝いさんとの生活ってどんなもの?(1)

住み込みのお手伝いさん、、、と聞くと、いの一番に思いつくのは、市原悦子扮する家政婦さんが働いているような立派なお屋敷とそこに住む華麗なる一族。。。

ですが、香港ではまるで事情が異なります。

香港でワーママをするにあたって最大の特徴が住み込みお手伝いさんの存在です。そもそもフルタイムで働く人が利用できるような日本式の保育園が、非常に数限られており、というか、ほぼない、と言い切っても過言ではない。

フルタイムで働きながら子供を育てるには、お手伝いさんを雇うか、完全に親などに頼るかのどちらかです。

共働きの家、シングルファーザー、シングルマザーの家では、多くの場合住み込みのお手伝いさんを雇用しています。

というわけで、香港で仕事を始める中で何よりの懸念点は、良いお手伝いさん(英語でHelper、広東語でアマ)を雇えるかどうか、そしてうまくマネジメントできるか、という点でした。

日本でも、家事や介護といった分野について、外国人労働者受け入れという話が広がりつつありますので、少しわたしの生活を何回かに分けてご紹介します。今日は主に制度について。

どんな人がお手伝いさんに?

香港の一般家庭の多くのお手伝いさんが、フィリピンやインドネシア等の近隣諸国からの出稼ぎできた女性たちです。雇用する各家庭が、雇用主としてビザの保証人のようなものになり、雇用契約締結と同時に、彼らのビザ申請を香港政府(香港入境事務所)に対して行います。つまり、雇用契約が終了すれば、ビザも終了。お手伝いさんたちは、すぐに新しい雇用主を見つけなければ、ビザが切れ、本国に帰国しなければなりません。お手伝いさんたちには、色んな方がいらっしゃいますが、多くの女性たちは、本国にこどもたちを残して、働きに来ています。

お給料は?

雇用契約のフォームも、休暇も最低賃金も支給すべき最低食費もすべて細かく法定されています。2017年4月現在で、最低賃金は、月額4310HKD(約6万円)、最低食費は、月額1037HKD(約1万4千円)です(香港政府サイトより)。香港の平均給与が2016年で、月額HKD16,200(約23万6千円)ですから(政府統計処公表資料より)、この最低賃金は、香港の平均給与よりはかなり低い設定になっています。

一方で、この収入は、色々なデータがあったので、正確性のところを担保できませんが、フィリピンの首都マニラの女性の平均給与を上回るものになるようです。実際に、教員免許や看護師資格があっても、香港で働いた方が収入が高くなるので香港でお手伝いさんとして働いているという人に何度かあったことがあります。

ちなみに、これは実際に調べたわけではないですが、近隣諸国でこのように外国人労働者のお手伝いさんを受けていれている地域で、香港は一番この最低賃金価格が高くなっているようです。例えば、シンガポールは、2016年時点で月額S$550(約4.5万円)。本国に近いということ、休みが確保されているということ、から、中東やシンガポールから香港に転職してくるお手伝いさんは多いのが実情です。

「住み込み=同居」がルール

雇用主は、住居を提供するのがルールになっています。もっと正確に言うと、法律上は、住み込みじゃなくてはなりません。ただ、スペースの問題で場所を提供できないという雇用主や、そもそも同居はいやだという雇用主も多く、住居費用を別途支払って、通いできてもらっている雇用主も少なからずいます。厳密にいうと、これは法律違反になりますが。。。

どうやって探すの?

とにかく共働きをする以上は、自分たちも外国人で親族が周囲にいない以上、お手伝いさんを雇うのは必須だった、わが家。私が働くにあたって、必死に良いお手伝いさんを探しました。探し方は、色々な方法がありますが、メジャーなやり方は、①エージェントを使う、②友人の紹介、③友人のお手伝いさんからの紹介、です。

②友人の紹介、というのは、やはり、信用力が違います。本国に帰任することになったから、ということで、その家庭で働いていたお手伝いさんを雇う、という方法。ただ、こればっかりは、タイミングとご縁。なかなか頼っていられません。

③友人のお手伝いさんからの紹介、という手法もあります。お手伝いさんたちは、お手伝いさんたちの中でのネットワークを持っていますので、そのネットワークに頼るわけです。

結局我が家は、①エージェントを使って紹介してもらい、面接を行いました。香港には大量のエージェントがいて、彼らにいって、候補者を紹介していただくというものです。エージェントによっては、香港で候補者を見つけることができず、スカイプ面談というケースも。我が家は直接会うことを重視したので、香港にいる候補者を紹介していただける方を選びました。

ちなみに、知り合いの中には、休日のお手伝いさんの輪に入っていって、お手伝いさん募集という紙を配って面接をした、というツワモノも。

心の葛藤

お手伝いさん制度に完全に立脚している香港では、私からみると、それに依存しすぎていて、保育園制度などの発展が遅れているように感じます。生鮮食品のオンラインデリバリーが発達していないのも、しかり。そのため、香港で、共働きをする以上は、お手伝いさんを雇うことは必須でした。

一方で、本国に子供を残して出稼ぎにきている人たちをやとうことが、本当に社会のためにいいことなのか、ということについては、葛藤を感じざるを得ませんでした。そういうくらいなら、高給で雇えばよい、という考えもあるかもしれませんが、我が家は、普通の家庭で、そこまで経済的に余裕があるわけではありません。使える予算も限られています。

今のところ、出ている結論は、我が家の家庭で働くことでハッピーだと感じてもらえて、それが彼女の家族にとっても良くなればいいのではないかと思うにいたっています。社会制度自体を変えていくのは、時間がかかるし、私の今の立場でできることは限られている。でも縁があって一緒に住むことになった方をハッピーにすること自体はできるはず。そう思っています。

さて、次回は、具体的な生活の様子についてー。

突然の夫の転勤とわたしのキャリア=人と違うことをおそれずに=

久しぶりの更新です。今日は、会社の中で人と違う道を進むこと、についてここ1年‐2年考えてきたことを書きたいと思います。

最初に‐30代半ばにさしかかり焦る心‐

少し話がそれますが、最近SNSやニュースで目が行くのは、起業・独立して活躍している同年代の記事。みんな、キラキラしていて、企業のしがらみとかそういうの関係なくて、色々な特集が組まれていたりして、ひたすらすごいなあと思いながらそういった記事を読んでいます。

同年代がどんどん活躍していく一方で、自分を見返すと、、、新しいアクションを起こす勇気もパワーもなくて、日々目の前の仕事に打ちのめされてそれをこなすのがいっぱいで、、、私が社会に残せているものってなにかあるんだろうか、そう思って、ものすごい焦燥感に駆られたりもします。30代半ばにさしかかり、何か新しいアクションを起こすにはそろそろラストチャンスのような気もする、そんな気持ちに駆られるのです。

そんな自分を鼓舞するためにも、今日はこの話題を。家族で香港に来た理由について、そして、わたしが今なお、新卒当初からお世話になっている会社のしかも香港オフィスで働き続けている理由を書きたいと思います。

わたしが香港で働くにいたった経緯

当初はいろんな思いが交錯して、この話題には触れないようにしてましたが、働き出して1年以上経ちましたし、そして何よりも、わたしのようなケースがあることで、たった1人でもいいから勇気づける人がいれば、という当初の強い思いを少しでも実現するためには、と思い書くことにします。多くの働く女性は、私のように企業に属して働いて、どうしたらいいか、自分はどういうキャリア築いていったらいいか、と悩んでいると思うので。

過去ブログと経歴欄をご覧いただければわかるように、わたしは、ちょうど4年前から2年間、留学と研修の一環の出向でニューヨークにいました。別の会社で勤めているパートナーもわたしの異動に合わせて異動願を出し、一月遅れでニューヨークオフィスへ異動。日本の”通常”であれば、別居か、パートナーが転職し(または離職し)ついてくる、というどちらかのパターンになるところですが、周囲のサポートをいただけてありがたいことに、家族でニューヨークに行き、生活することができました。

突然の夫の転勤話

そして、米国研修完了後、当初の予定では、家族揃って日本に帰る予定でした。が、今度はパートナーに香港への転勤の話。さて、困ったどうしたものか。

むちゃくちゃ悩みました。毎日毎日、どうしたらいいか。元来、根暗なわたしですが、もう、カビが生えるんじゃないかと思えるくらいずっとジメジメとなやみつづけました。近くでぐちぐち言いつづける、わたしの話を聞き続けてくれた、パートナーと親友は本当に大迷惑だったと思います。。。

でも、やはり、家族と一緒にいる、これがわたしの最優先事項でした。それは、変えられない。なので一度は、お世話になった&留学まで行かせていただいた会社を辞める覚悟で、上司に相談をしました。

上司のはからい

そして、思いもよらず、香港で働けばいい、そういうお話を頂きました。びっくりしたのと同時に、この話を受けること自体が本当によいものか、悩みました。働いている以上、会社のお荷物にだけはなりたくない。寧ろ活躍したいし、人よりも成果を出したい。それが、できるのだろうか。もっといえば、この話を受ける以上は、当然よい結果を出さなきゃいけない。

あまり前例を聞かないアレンジであることは間違いなく周囲の目もそれだけ厳しくなることは想像に難くなく、その中でやりきることができるのか。

でも、悩んだ末、自分がそういったキャリアを歩むことで、あぁ、そういったやり方もありなんだー、だったら、あんまり考えすぎずにわたしもやってみようかな、、と思ってくれる人がひとりでも増えれば、いいなぁ、そして、そういったイレギュラーなキャリアの継続の仕方もありなんだと気づいて応援してくれる人が社内に、ひいては、日本の社会に少しでも増えてくれれば、そう思ってこの頂いた大きなチャンスを受けることにしたのです。

「特別待遇」の中で感じたこと

このような「特別待遇」をいただけたこと、これに対する葛藤は、働き出してから半年間ほどずっと続きました(実はまだその葛藤から抜け切れていないかもしれません)。

それでも私は目の前の仕事に誇りをもって取り組むためにも、このポジションを頂いたことを「特別待遇」と思わずに、「出来ると思われたから大きな機会を与えてもらった」と思うように気持ちを切り替えて、自分を鼓舞して1年強やってきました(そうでなければ、スーパー「気にしい」の私は途中で心が折れていました)。

そうして1年経ってみると、(自分の感覚が麻痺しただけかもしれませんが)、周囲は香港に来た経緯なんて気にしていなくて私のパフォーマンスだけをみてくれていることをなんとなく感じられるようになってきました。

何がいいたいかというと、少し「目立つ」処遇があると周囲の反応は気になるかもしれませんが、目の前の仕事に明るく全力投球していけばいつしか皆あまり気にしなくなる、ということです。逆に「特別待遇」をもらったと思って自分を卑下して周囲の反応ばかり気にして仕事していると自分らしさを失い結局良いパフォーマンスを発揮できなくなる気がしています。

チャンスをいただくことを恐れずに

実はこの話は、私のような転勤、といったケースだけではなく、いろんなケースにあてはまるな、と思います。職場でマイノリティであることが多い女性たちは、キャリアを進めていく中で、人とは違う状況にぶつかることが出てくると思います。人と違う状況になっても、顔をどうどうと上げて、背筋を伸ばして突き進むこと、目立つ以上逆風も吹くのは当然で、その中でも自分らしく進んでいればきちんと評価してくれる人も出てくること、それを(自分自身に言い聞かせつつ)多くの人に伝えたいのです。

チャンスをいただくことを恐れずに進んでほしい。チャンスがなければ、チャンスをとりにいってすすんでほしい。そうして進んでいくことで、自分の後ろに細くても道ができているかもしれない、そう信じて。

少なくとも私はそう信じて、今はこの目の前の与えられた機会で最大限の結果を残せるように毎日を過ごしている、そんな日々です。

 

物申すのが保護者の役目?NY&香港パパママたちの驚くべき行動力&発言力

前回の記事「学校への連絡にFAX!?=便利ツールを使おうよ!NY&香港の学校のコミュニケーションツールを紹介します=」が意外と反響を呼びました。その反響の中で、「学校側に改善を求めたら、モンスターっていわれちゃうかな」というコメントが。自分に置き換えて考えてみました。うん、私が日本にいたら、まわりの目を気にして(特に周囲の保護者や学校の先生からの視線を気にして)なんにも言わないな、絶対。

実際、日本にいたときに、東日本大震災が起き、その後、保育園の園舎の耐震が心配だという保護者の声があがり、(もともと1年後に新築のところに引越す予定があったところですが)急遽プレハブ園舎が建てられたというとき、それらの保護者の方々の活動には積極的に参加せず、だった私。

そんな私が、驚いたのが、NYや香港のパパママたちの驚くべき行動力と発言力でした。6年前、何も発言しなかった自分自身への自戒の念を込めて&わたしのような保護者達も日本でも適切な主張する勇気がもてるようになるように、私が驚いたNYや香港のパパママたちの超積極的な姿勢をご紹介します。

NYで(学校は先生・保護者・地域が共につくりあげるもの)

私の短い経験ではありますが、NYは、そもそも主張をしなければ何も考えていないor異存はないと思われるところ。学校の授業でも、職場でも、とにかく発言することが求められていました。発言しない人はその場にいる意味なし、くらいの勢いです。その文化が学校運営にもあてはまっている印象があります。要は、「保護者の声いつでもWelcome!!!」の姿勢。

学校側は、ボランティア等での保護者の積極的な参加を求めますが、同時に保護者からの声も積極的に受け入れる姿勢が強くみられました。そもそも学校教育自体が「発言しない=無価値」(いいすぎ?笑。でも、これを毎日感じていたのがアメリカ時代のわたしの体験)みたいなかんじなので、親に求める姿勢もそうなってくるのでしょう。

だからこそ、親も発言するし、行動します。だめだと思ったら積極的に学校のシステムを変えにかかるのです。

たとえば、娘の通っていたPreschoolでは、保護者が働きかけてオーガニック食材を使う給食に切り替えさせていました。

ほかにも、新学期の前になると、新しい担任の先生についても積極的に校長に意見。「いままでの先生は素晴らしい先生だったから、次もそのような先生がくることを期待しています」と。(そういった声が実ったのか謎ですが、いい先生が実際に担任になりました)

たとえば、娘の通っていた公立小学校では、学校説明会でも、質問と意見の嵐。こういったルールはおかしいから直すべきだ、なんて意見がしょっちゅう出ていて、リーズナブルなものはどんどん導入されていっていました。

また、親の方から学校行事についての提案があり、学校側が当初予定していない学校行事なんかもちょくちょくありました。私自身、「◎子供の学校との付き合い方シリーズ2◎海外で働きながら学校とうまく付き合う三つのヒント」にも記載しましたが、勝手に折り紙教室やお別れ会を企画して、クラスに押しかけたりしていました。

まさに、学校というものは、先生と、保護者と、地域が共につくりあげるもの、ということを体現していたように感じます。

香港で(PM2.5対応に驚く)

香港ではインターに通っているので、おそらく上記の米国文化?欧米文化?が引き継がれているのでしょう、同じように保護者の発言力なかなかすごいです。なかでも最近特に「すごいなーーー」と脱帽した事件をご紹介。

冬の香港、実は北風にのって中国大陸の大気汚染が流れてくるせいか、ちょくちょく空気が悪くなります。先日は、PM2.5の数値が150を越え、普段は特に感じない鈍感な私ですら、なんだか喉がいがいがして、子供たちも咳が出始めたときがありました。そのときの保護者の反応がすごすぎました。

まず、PM2.5の数値が特にひどい日、即座に、Whatsappで”Air Pollution Concerns”というスレッドが立ち上がる(希望する保護者は全員入れる)。

そして、どうやったらこどもへの影響を最小限にすませることができるか、はてはマスクはどういったものがいいのか、、、等の議論がものすごい勢いで交わされる。このときオフィスにいましたが、私のプライベート携帯の画面にひたすら新着メッセージが届いておどろきました。

極め付けに、その日のうちか翌日には、どなたかが、大気汚染による市民の健康を考え活動を展開するNGO団体と提携を決定。そして、NGO団体による校舎のモニターをしてもらうことになりました。

性別問わず保護者が積極的に意見を交わし、行動を起こしている姿に驚きました。

日本は…?

さて、日本はどうでしょう?日本で「保護者」をしていたのはたったの三年。しかも公立保育園のみで、小学校の様子はわかりません。そのため、想像で物申すのは気が引けるのですが、、、ただ、親の意見はいくらでもウェルカムで親の意見もひとつの学校改善の手段というスタンス、、、というものはあまりないように思うのですが、どうでしょうか。

あくまで、一般論ですが、保護者の方には、「学校には通わせていただいている」という思いが強く、学校側には「学校の仕組みは、我々が決めるのである。保護者は必要なときだけ協力してほしい」という姿勢が強くあるように感じるのですが、どうでしょうか。

しかし、、、こどもの教育にとって良い環境を、という思いは保護者も学校も皆同じ。そのためには、積極的に議論を交わして、どんどん改善をはかっていこうとする、NYや香港のそんな雰囲気が、日本でも広がればいいなあ、とそう思います。