こどもを産むベストタイミングっていつだろう~入社3年目の自分vs 入社9年目の自分を比較してみる~

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6年ぶりに子供を授かり、改めて考えています、本当にこどもを産むベストタイミングってないんでしょうか。

第一子を授かったとき、わたしは25歳の母、新卒で入社して3年目でした。そのときに、パートナーから、「キャリアを追及する限り出産のベストタイミングなんてない」という言葉を投げかけられたことは、私がこどもを産んだワケ(「キャリアを追及する限り出産のベストタイミングなんてない」)で書いたとおりです。だからこそ、時を選ばずに、流れに身を任せよ、こどもを産むベストなタイミングなんてないけど、こどもを産んだからってできなくなることもない、と。

当時のわたしにとっては、目から鱗だったセリフであり、母になって6年、この言葉はとても大事な言葉として、自分の中で生き続けていますし、こういう後押しがあったからこそ、今かけがえのない宝物と一緒に暮らすことができているとも思っています。

とはいえ、本当にベストタイミングってないのかな?

第一子を産んで6年がたち、今ふたたび、新生児を持つ母になってみた今、あまりにも6年前の自分と心持が違うため、改めてこどもを産むベストタイミングについて思いをはせるにいたったわけです。というわけで今日は、過去の自分と今の自分を比較しながら、あえてもう一度、子どもを産むタイミングについて検証してみたいと思います。

□子育てで比較□□

子育てで比較をすると、今の私の方が6年前の私より、子育てを「楽しめている」気がします。

□子育てを楽しめる32歳

第二子は育てやすい、とは、よく言いますが、うちの第二子くんも非常に育てやすいです。とにもかくにも、泣かない。というか、泣き声をきいても、そこまで気にならない。泣くのは、①かなりつまらないとき②おなかがすいたとき③眠い時④おむつが気持ち悪い時、のみ。

(いや、本当のところは、ふにゃふにゃ言っていることもあるのですが、それくらいで抱き上げていたら、自分の時間や上の子の時間を取れないので、抱き上げないというのが事実。)

第二子だから、というのが多分に影響を及ぼしているのだとは思いますが、32歳のわたし、多少泣いてても、ま、いっか~と結構余裕。泣き声もかわいいもんで、はいはい、どうしたの~と笑顔で接する余裕あり。

授乳をしている間も、赤ちゃんがかわいくて仕方ない。自然と愛があふれて、おっぱいが張り、母乳もあふれる。

うんちが漏れても、あらら、いっぱいうんちしてえらいね~とほめてしまうほど。

□完璧主義の26歳

かたや26歳、入社3年目のわたし。振り返ってみれば、ちょっとした泣き声に過敏反応。すぐに抱き上げ、ひたすら抱っこし、泣き止まないわが子にイライラ。時に涙していました。日がな一日、何をするでもなく、こどもの相手だけで時間が過ぎていくことに憂鬱になるほど。

そう、振り返れば、いつも肩に力が入っていました。

こどもの湿疹がひどくなると泣いたり、ステロイドはよくないと聞くと複数の小児科を回って必死によりよいお薬を求めてまわったり。(ちょうど今第二子の赤ん坊は、顔中湿疹だらけですが、32歳のわたしは、「ま、きっとよくなるでしょう」と構えて、娘の塗り薬をちゃちゃちゃっと塗るくらい。)

第一子ゆえの必死さというよりも、若さゆえの余裕のなさでいっぱいでした。

そもそも、大学の友人で、子供を持っている友人が一人もいませんでした。わたしの知る限り、同学年で母となったのは、わたしが最初でした。新卒の慣れない時期を抜けて、みんなが、プライベートに仕事にどんどん充実させていこうとしている最中、ひとり飲み会も残業も旅行も断る寂しさで、なおさら育児を「楽しむ」という心のゆとりがどこか欠けていた気がします。

□仕事で比較□□

□26歳母、自信がない分仕事も焦る

さらに、仕事。妊娠中から、切迫流産&切迫早産で休みをとりまくっていた私は、とにもかくにも焦っていました。

妊娠したのは入社二年目。産休にはいったのは入社三年目。同期に子持ち女子はなし。自分のブランクが過剰に気になり、とにかく早く復職したかった。

復職したらしたで、とにかく同年代から見劣りしないように必死でした。出張もいき、残業できない分家に持ち帰って早朝仕事をする日々。仕事についてなんの自信も実力もないから、空回りしながら、がむしゃらに走っていたような気がします。

そして結果的に、いつもいつも疲れていて(実際体の不調が色々なところで出ました)、本当に子育てを楽しめていたかというと、楽しんでいたというよりは「必死」でした。保育園の行事にも、私は仕事を優先して、夫の方が参加率がよいほど。今考えると、調整できない予定じゃないのに、こどもの行事よりも仕事を優先するなんてなんてもったいないことをしていたのだろうとおもいます。

同年代に子育てをしている人がいないから、目立ってしまうような気がして、なおさら焦っていました。

□32歳母、仕事にあまり焦りなし

かたや、32歳になった私。

いまだ育休中ではありますが、妊娠中のときから、「多少のブランクが仕事に及ぼすものなんてたかが知れているだろう」という気さえしてくるほど、6年前とは比べ物にならないくらい気持ちが落ち着いています。仕事に対する自信というものは相変わらず別にないのですが、ここ数年、勤務期間と人事評価というものが全くリンクしない社会を見てきたせいか、長く勤務すればいいというものではなく、復職したときにきちんと結果を残せば、周囲から評価で劣るということはないだろう、だから復帰時にがんばればそれでよし、というように思えるようになりました

年齢のせいなのか、住んでいた地域のせいなのかわかりませんが、ここ数年で出会ってきたひとたちには、男女問わず、日本でいうところの「ブランク」があった人はいっぱいいます。男性でも、三年くらい会社勤めをやめて別のことしていたとか、ちょっと専業主夫していたとか、別の国で全然違う仕事を数年間やっていた、とか、ちょっと自分の会社立ち上げてみて、うまくいかなかったから、また会社勤め始めた、とか。大卒後ノンストップでしかも同様の職種について働き続けるのが日本の男性の大方だと思いますが、そうではない人に多く出会いました。だからでしょうか、、ほんの数か月や一年くらいのブランクがなんのそのって思えるようになったんです。

結果的に、焦らないので、今の子育ての時間をとても愛しく感じられるようになりましたし、産休&育休を単なる「ブランク」ととらえるのではなく、全く別のことにチャレンジするいいチャンスだとも思えるようになりました。

同時に、周囲に子持ちのワーママも増えてくるのも、焦らない大きな原因になりました。同じようにワーママをやっている同年代の友人や同僚が増えてきたことが、ひとつの安心感、気持ちの安定につながっていった気がしています。

□それでも26歳母にもメリットはある□□

というわけで、入社3年目のときと比較すると、入社9年目の私、精神的にも、経験値的にも成長し、余裕をもってワーママをできそうだ、というのが今のところの感想です(仕事上でのデメリットは、仕事を再開してから感じられるのかもしれませんが)。

そしてもう少しあとに、たとえば、30代後半や40代前半でこどもを授かると、きっと、もっと出産や育児、ワーママ生活を通じて得られるものは多いのではないかと思っています。

んじゃ、若手の段階でワーママやってもメリットが全くないかというと、そんなことはありません。今と比較するとやはり三つのメリットはあるように思います。

その①友達の幅が広がる

一番大きかったのは、これです。こどもを早いタイミングで授かったので、娘を通じて仲良くなるママ友は、自分より年上の方が多かった。みな自分よりも経験が豊富で、悩んだときも、少し違った視点でアドバイスをくれる、素敵な先輩であり、そして共に子育てを頑張る友達であり。

早めに子供を授かっていたからこそ、そういった少し上の世代の素敵なママ友達に巡り合えたのだと思います。

世の中では、ママ友づきあい面倒くさい、とか、ママ友バトル、とかドラマ化してしまうもののようですが、わたしにとって、ママ友達は、子供を持つことで得たかけがえのない財産ですし、日本でもアメリカでも香港でも、ママ友達がいたからこそ充実した生活を送れていること、間違いないです。ママ友達の世代の幅が広いことは、そのままわたしの生活の豊かさ、人間的な成長、にも直結していったと思います。

その②大きなライフイベントが早めにきたことで、将来の選択肢が広がる気がする

早々に出産という大きなライフイベントをひとつ終わらせたことで、なんとなく、将来のキャリアの選択肢が広がった気がします。

30歳前後というのは、それまで敷かれていたレールの上を走っていただけなのが、ふと立ち止まり、これからどういう方向に進んでいくべきか悩み、模索しながら、新たな一歩を踏み出していくタイミングである気がしています。すくなくとも今の私にとってはそうですし、周囲の同年代の友人をみても同じように悩み模索しているのを感じています。

そういった岐路に立つとき、特に女性は、キャリア以外のライフイベントについても考えてしまうのではないかと思うのです。もっと単刀直入にいえば、結婚や子供を産むということを考えて、キャリアの選択肢を狭めざるを得ない女性は多いのではないでしょうか。

その点、早めにワーママを開始したことで、出産や子育てに対する心理的なハードルは低くなりました。キャリアと子育てが両立することもなんとなーく見えてきたし、まあどうにでもなるんじゃないか、とわりと楽観的に、その場その場で自分が最善と思うキャリア構築の道を歩めてきている気がします。

その③実はあまり目立たない

これは色んなところで書いてきたことなんですが、若いうちの出産、産休、育休は横並び競争の中で意外と目立たないのです。考えてみてください。入社3年目の社員が1年休むインパクトと、入社10年目の社員が1年休むインパクトを。同じ部署でも、入社3年目の社員の名前なんて、覚えていない人だっているかもしれませんが、入社10年目の社員だと間違いなく覚えられています。しかも入社10年目前後は、これからマネージャーとしての役割が多いに期待されるような年次です。

多少休みをとってても、目立たない=横並び競争からあまり遅れをとらない、ということになるのではないかと思うのです。

結論

さてさてさて、結局、いつ産んでも、良い面も悪い面もあるんだな、というありきたりな答えが、今回の結論です。だから、やっぱり、いつ産むべきなんだろう、とかあんまり悩みすぎないことが大事なんだろうな~と。

こどもを授かるというのは、計画だてられる話でもなく、授かること自体が奇跡です。そして、物理的なことをいえば、年齢があがるほど、妊娠しずらくなるのは事実。プランなんてあってないようなものですし、子作りのタイミングについては、あれこれ悩まずに、授かったタイミングで、その奇跡に感謝し、前に進んでいけばいいのではないかなと思っています。

行き当たりばったりでもなんとかなってきている例がここにあります。

こどもを産むベストタイミングなんてないけど、こども産んだからってできなくなることもない。子供を産むタイミングが得られる経験はそれぞれ違うけど、どれも違ってどれも素晴らしいことであることは間違いない。

もし、今こどもを授かったことで、自分のキャリアどうなるのーと焦っている方がいれば、なんにも心配いらないよ、と伝えたいと思います。もし、今、こどもを産むタイミングに悩んでいる方がいるのであれば、考えすぎないで、仕事はどうにでもなるよ、と伝えたいなと思います。私のつたない経験で、少しでも背中を後押しされる方がいればいいな、と思い、今回はこのテーマを選びました。

 

「日本出身」力士優勝のニュースをみていて思ったこと

20160201_063322936_iOS一週間、もうすぐ3か月になろうとする長男を親族に見せるため、娘と長男をつれて日本に帰国していました。大寒波の中、関空から入り、関西、岡山をまわり、吹雪の福井に入り、埼玉、東京に移動し、成田から帰ってきました。二人の子を一人で抱えながら回るのはなかなかチャレンジングでしたが無事に当初の予定をすべてこなし、一安心です。

さて、一時帰国中は、「飢えていた」日本のテレビを、時間があれば見ていました。というか、気合を入れてみなくても、つけていれば自然と耳にニュースが入ってきていました。ああ、日本語って本当にラク。。。(ちなみに、話題のSMAPの謝罪会見だけは、15分前からテレビの前で待機して見ましたが。。。)

そんな中、ふと気になったニュースがありました。それは、10年ぶりの日本出身力士の優勝で盛り上がった琴奨菊の初場所制覇

琴奨菊の優勝自体はとてもすばらしいことだと思います!琴奨菊は私と同い年なので、なおさら、そのような偉業を成し遂げるのはすごいなあと思いますし、これからも頑張れ!と思いますし、ひさしぶりの日本出身力士の優勝で、日本出身力士が勇気づけられたり、国内での相撲人気が高まったりすればそれはそれで、良いことだろうなと思っています。

一方で、ニュースでは、日本出身をことさらに強調しすぎではないかな、と、ふと思ったのも事実です。20160201_063338888_iOS

「外国人」ってなんでしょう?「日本人」ってなんでしょう?

 

渡米して、さらに、香港にきて、自分自身が「外国人」になってはじめて、そういったことをよく考えるようになりました。

ニューヨークでも、香港でも、出会う人の多くが、自分の国籍×持っているパスポート×親の国籍×生誕地×第一言語×保有している永住権が、点でバラバラでした。

両親は日本人でも、自分はアメリカで生まれ、英語が第一言語で、配偶者はイタリア人で、こどもは、イタリアと日本とアメリカの三つのパスポートを持っている、とか。中国で生まれてアメリカに移住し、アメリカで市民権を取得して中国国籍を放棄し、香港にきて今度は香港の永住権を取得することを考えている、とか。両親は中国からカナダへの移民一世で、自分はカナダ人で、こどももカナダ人だけど香港に住んでいてフランスの定住権がある、とか。

最初こそ驚きましたが、出会う人出会う人、誰ひとりとして同じバックグランドを持っていないといっても過言ではないのでいまでは全く驚かなくなりました。

みな違うけれども、みな自由な空気を吸ってニューヨーカーの顔をして生きている。仕事で、英語が出来なくて感じる苦痛は大量にありましたが、「外国人」だから感じた苦痛はなかった。それが私にとってのNYでした。

一方、日本では、、、自身は日本国籍×持っているパスポートは日本のみ×両親は日本人×生誕地は日本×第一言語は日本×永住権は日本のみ、という人が大半で、ひとつの要素が違うと、それだけで「ちょっと違う」日本人、とみられるふしが強いのではないでしょうか。ミス・ユニバース日本代表にハーフの女性が選ばれて物議をかもしたりするのもそのひとつの現れだと思いますし、今回の琴奨菊のニュースの取り上げられ方も、そのひとつだと思うのです。

外国で暮らし、英語のコミュニケーションひとつとっても、超超超苦労しているわたしからすれば、外国人力士たちって本当にすごいと思うのです。通訳もつけずに、見事に日本語を使いこなすだけでなく、伝統と格式という名の大量のルールが存在する角界という世界で、そのルールを学び、理解し、従い、そして結果を残していく。そんじょそこらの努力じゃできません。国籍こそ違えど、彼らのやってきた努力や残してきた結果というのは、わたしなんかよりもよっぽど、「日本人」らしいことだという気がするのです。

それでも「外国人力士」と「日本出身」力士に区別される。なんか違和感がわたしにはあります。

一方で、日本国籍を持っていなくても「日本人」としてニュースで大々的に取り上げられる人もいます。例えば、2014年度に青色発光ダイオードで有名な中村修二先生がノーベル物理学賞を受賞したときのこと。中村先生の受賞は、「日本人」受賞として大いに盛り上がっていましたが、一方で、中村先生はアメリカ国籍を有しており、日本国籍は持っていないはず。。。ということが話題にあがっていたことが記憶に新しい方も多くいらっしゃるのでは。

中村先生の受賞は、日本で生まれ育って日本の中で研究を続けてこられた結果だということで、「日本人」受賞なのである、というのは、わかる気がします。でも、そうなのであれば、日本の文化にどっぷり身を置き、切磋琢磨し、結果を残した力士を「外国人」か「日本人」かで区別し続けるのは、なんでかなあと思うわけです。

そうして、つくづく、日本人の中の、「日本人」と「外国人」ってなんなんだろうって思ってしまうのです。(日本出身かそうでないかで、体格の差などが生じ、日本人が勝ちにくくなっているからこそ、それを日本出身かどうかを区別して語ることに意義はあるのかもしれませんが、それでも、この「区別」はそういった体格差の話だけではないと思うのです。)

わたしが一番相撲を熱心に見ていたのは小学生の頃で、ちょうど、曙、小錦、武蔵丸、など、ハワイ出身の力士たちが若貴兄弟と熱い火花を散らしていた頃でした。なので昔から「外国人力士」に親しみを持っていました。幼心に、小錦と武蔵丸の愛嬌のある顔が好きで、応援していました。(曙はなんとなくこわかった。。。)思えば、それも20年くらい前の出来事。そう考えると、実は、20年以上前から角界というのは、グローバル化が進み、その中で日本の伝統を守り抜いてきた、日本社会全体でみると最先端の組織なのかもしれません。

そんな組織だと思っていたからこそ、いまさら、”「日本出身」力士の優勝”でことさらに沸き立っている様子をみたら、なんだかひどく寂しい気持ちになりました。

感謝!月間1万PV&1万訪問数達成~~~♪♪♪

皆様、本ブログ「海外でもワーママ生活」をはじめて、10ヶ月。

ようやく

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ようやく

30日間のPVが1万4000PVを超えました!!!!!!!!!訪問数も1万700を越え、感激です。

 

20160115_230525340_iOSハテナブログや、アメーバブログなどの競合ブログなどもあり、そういったブログは、リンクしあったりバズったりとメリットもあると思いましたが、今回は、苦手な「Web」に対して少しでも感覚を持てるようになろうとゼロから格闘してたちあげることを決意。

それでも、「Word Press」はおろか、「タグ」「PV」という用語すら知らなかったIT音痴のわたし。しかもできるだけ費用は低く抑えるために、日本人があまり使ってないように思われる、アメリカのサーバーを見様見真似で使ってみたりして何度も失敗を重ねながら立ち上げました。

フォーマットをなんとか作ったあとも、時間を使って書いているのにアクセス数が一日数件だったりしてへこんだり、力を抜いて書いた記事が意外とヒットしてびっくりしたり、コメントを頂けて喜んだりする日々でした。

こどもを寝かしつけた後、ごそごそ起きてパソコンに数時間むかっていると、自分でもときどき、何に向かって頑張っているのかよくわからなくなることが多々ありましたが、それでも、自分の経験を共有することで、少しでも世の中が良い方向に行けば、ひとりでも勇気づけられるひとがいればいいのだ、と言い聞かせてまいりました。

そして、徐々に、アクセス数が増え、8000PV、9000PVを達成することも出て、ついに、「6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(上)」「6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(中)」「6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(下)」シリーズがヒットし、1万PVという第一目標を達成できました。長かった!!!!

ここまで頑張れたのも、ひとえに、応援してくださった、訪問してくださった皆様のお陰です。

どうぞ、どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。

6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(下)

今回も前々回(6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(上))及び前回(6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(中))に引き続き、この冬休みの娘の大冒険について書こうと思います。いよいよシリーズ最終回です。

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-はじめに-

この冬、娘(6歳2ヶ月)は一人で飛行機にのり、香港から日本の祖父母の家に行き、再び一人で飛行機に乗り、日本から香港に帰ってきました。全部で14日間に及ぶ大冒険。しかも、クリスマス、年末年始、という一年でもっとも大事な時期をあえて、親元から離して過ごさせました。

共働きでも夏休みを有意義に過ごさせたい、と考えるときに、子供がひとりで飛行機に乗って移動できれば、こどものアクティビティの幅が一気に広がります。海外暮らしのおうちだけではなく、日本に住む共働きのご家庭にも参考になればと思い、なぜたった6歳の女の子を一人で送り出しのか、やってみてどうだったか、等について3回シリーズで書いております。前々回は、「なぜ送り出したのか?」。前回は「なぜ送り出せたのか?」。そして今回は、「やってみてどうだったか」。

-やってみてどうだったか-

飛行機:

やはりキッズらくのりサービスの利用は、とても安心できるものでした。

新幹線などの場合は、降りる場所を間違えてしまうこともありますし、常時目を向けてくれている人もいません。その点、航空会社のサービスは安心感がありました。こども向きのおもちゃやお菓子も用意されていたようで、そういった点も退屈しないですんでよかったそうです。

しかも、往路の機内では、隣は女性、復路の機内では、隣は親子連れだったらしく、本当のところはわかりませんが、座席についてもある程度配慮されていたのかもしれません。

滞在中:

では2週間に及ぶ日本滞在はどうだったのでしょうか。

その①ぽっかり心に穴が空く

長女が旅立って家に帰ると、家中が静まり返っており、時々、少しばかりの景気づけに新生児が泣くくらい。思えば、こんなに長い間娘が家にいないのは、彼女が生まれて以来初めてのこと。何をするにしても、ここにゴンちゃん(娘)がいたらなあ、と思うばかり。彼女が我が家の活力であり、我が家の太陽であることを改めて気づかされました。

その夜、祖父母の家に到着して少し緊張がとけたのか、涙をこらえながら「おやすみなさい」のFace Timeをしてくれた娘。もう、画面越しの娘の涙に、両親とも心臓をさされる思いでした。夜は、夫婦二人で、とっておきのお酒をあけて、酔っ払いながら涙涙。お酒に強くない夫は、お酒に飲まれて「一生懸命考えて、やっぱりこれがゴンちゃんにとっていいと思ってやったんだよ。。。」とつぶやいていました。

その②同じ年頃の従姉弟の存在が絶大。

今回滞在先では、近所に住む、娘と同い年の従姉と、3歳年下の従弟とずっと一緒に遊んでいました。毎日祖父母や叔父叔母がいろんなイベントを企画してくださり、従姉弟と一緒に遊ぶ日々。毎日毎日盛りだくさんで、本当に楽しそうでした。電話をしても、「今いそがしいから!!!」と画面に出てくれないなんてこともしばしば。

やはり一緒に遊べる従姉弟の存在は、寂しい思いを最小限にとどめ、毎日楽しめた大きな要因でした。色々な企画をしてくださった皆様にも大感謝です。

その③滞在後半は、疲れと寂しさが出てくる。

それでも、滞在期間2週間のうち、後半数日は、疲れが出てきたのか、寂しさが出てくるようでした。日中は平気なのですが、寝る直前には、「パパと寝たい」「ママと寝たいよー」「パパとママと会いたいよー」と半べそで電話をしてくることが増えました。

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そんな電話を受けたときは、寝るまでFace Timeつけてていいから、といって、彼女が眠るまで、無言でスマホの画面越しで暗い部屋を見つめているということをして乗り切りましたが、毎度心は張り裂けそうでした。

日本に迎えに行くべきか行かざるべきか、深夜に夫婦喧嘩を繰り広げたくらい。それでも、「一人で行って一人で帰る」というゴールを切らせてあげて、達成感を持たせてあげるのも、親としての役割かもしれない、と自分自身に言い聞かせ、飛んでいきたい思いをぐっとこらえて見守りました。

目標は達成されたか?:

さて、当初設定していた、日本語&日本文化の吸収という目標は達成されたのかどうか。結論としては達成されました。

日本語については、半年前の一時帰国滞在時よりも早いスピードで、きれいな日本語を話すようになっていきました。香港に帰ってきてからも、日本語の語彙が圧倒的に増えましたし、ふと口をついて出てくる言葉が日本語になりました。

20160115_224059652_iOS日本文化についても、多くを学んできました。餅つきや、神社へのお参りも経験し、おいしいお寿司もたくさんたべて一回り重たくなって帰ってきました。なによりも吸収してきたのが、日本の「アニメ」。帰ってから、しばらくは、語尾に「ぴかぴーか」とつけて、ピカチュウの真似?をしており、わたしを結構イライラさせました。笑。(最初は、かわいいな、と思って聞いているのですが、繰り返されると、少々いらっとしてしまうダメ母なのです。笑。わたしが小さい頃、クレヨンしんちゃんのモノマネをする子供が大量に発生しましたが、よく大人はつきあってくれたなあと思います=閑話休題=)

ただ、今回の一人旅で得られた一番大きなものは、日本語でもなければ、日本文化でもありません。今回の一人旅で得られた一番大きなものは、娘の中で生まれた「達成感」とそれに付随した「自信」です。娘を空港に迎えに行き、到着ロビーで見た時、顔つきの違いに驚きました。とんでもないアドベンチャーをやり遂げたんだ、という自信がつき、ぐっと大人びた表情を見せてくれました。

その後も多くの友達に、わたし、一人で日本に行ったんだよ、と嬉しそうに話している姿を見て、今回このような旅を実践してよかったなと心の底から思いました。自信をつけさせてあげる、という親として子供にしてあげられる重要な役割を今回は少しは果たすことができたかな。

-こどもの一人旅を考えている親御さんへ-

さて、最後に今回の経験を踏まえて、こどもの一人旅を考えていらっしゃる親御さんへ僭越ながらちょっとしたアドバイスを★

①IT機器をフル活用

今回の旅で、スマホのありがたみを痛感しました。

私たちは、娘に、私の昔のiPhoneに、日本で使えるSimカードを入れて持たせました。そして、一連の操作の仕方(機内モードのOn/Offの仕方など)を教えました。また、SMSの送り方、Face Timeの使い方も。これがよかった。

Face Timeでいつでも顔をみて話せるというのことは、娘にとっても、親である私たちにとっても、大きな大きな安心感を与えてくれました。前述したとおり、娘は寂しくなったらいつでも自分で親にコンタクトをとることができました。そして、お金や時間を気にすることなく、電話をつなげることができたので、たとえば、娘が眠るまでiPhoneを通じてそばで見守ってあげることができました。少し不思議な図ではありますが。

パソコンの場合は、誰か大人を介して立ち上げてもらって、とかの作業が必要になり手間がかかりますし、電話の場合は、お金がかかるし顔も見えません。その点スマホはかなり便利で、おすすめです。

②意外とみんなやっています、だから安心して。

最後に、もうひとつ。意外とみんなやっています、だから安心して、ということをお伝えしたいと思います。

今回の娘の大冒険は、親にとっても大きな挑戦でした。しかし、蓋を開けてみると、意外と、周囲の帰国子女の友達から、「わたしも小さい時やったよ」という声が聞こえてきました。帰国子女の友達の芯の強さっていうのはこういった経験からもきているんだろうな、と改めて気づくと共に、彼らから「今振り返っても本当に良い経験だよ」「大丈夫だよ」といった言葉をもらえると、すっと心が軽くなりました。やはり経験者から聞く感想というのは、親の目線からの感想とは違った安心感を与えてくれました。

お子さんの一人旅を考えていらっしゃる方は思い切ってトライしてみては?自分の想像以上に、こどもはたくましく成長していることにきづかされると思いますよ!

6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(中)

さて、今回も前回(6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(上))に引き続き、この冬休みの娘の大冒険について書こうと思います。

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この冬、娘(6歳2ヶ月)は一人で飛行機にのり、香港から日本の祖父母の家に行き、再び一人で飛行機に乗り、日本から香港に帰ってきました。全部で14日間に及ぶ大冒険。しかも、クリスマス、年末年始、という一年でもっとも大事な時期をあえて、親元から離して過ごさせました。

共働きでも夏休みを有意義に過ごさせたい、と考えるときに、子供がひとりで飛行機に乗って移動できれば、こどものアクティビティの幅が一気に広がります。海外暮らしのおうちだけではなく、日本に住む共働きのご家庭にも参考になればと思い、なぜたった6歳の女の子を一人で送り出しのか、やってみてどうだったか、等について3回シリーズで書いていきたいと思います。前回は、「なぜ送り出したのか?」。今回は、「なぜ送り出せたのか?」

なぜ送り出せたのか?

送り出せた理由その① 同じ年頃の従姉弟の存在&祖父母/叔父叔母の完全バックアップ

これは、もうなんといっても、親族の多大なるサポートがあったからこそです。娘は、東京近郊と関西に同じ年頃の従兄姉がいます。従兄姉は、それぞれ、我々の両親(娘の祖父母)の近くに住んでおり、祖父母の家に滞在させてもらえば、従兄姉たちとも遊べることに。

こども一人でいるよりも、従兄姉と一緒に遊べることができるということで、娘も寂しさがまぎれるだろうと思ったというのがあります。そして、それらのサポートを引き受けることを快諾してくださった祖父母&叔父叔母(義両親&義妹ご夫妻)の存在なくしては、今回の冒険は実現しませんでした。

送り出せた理由その② 航空会社のサービス

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もうひとつ不可欠だったのが、航空会社のサービス

多くの航空会社では、こどもの一人旅をサポートするサービスを提供しています。出発ロビーから搭乗口まで係員が同行し、機内でもCAに適宜注意を払ってもらい、到着後、到着ロビーで送迎者に引き渡すまで再び係員が同行するというサービスです。

日本を代表する日本航空(JAL)も全日本航空(ANA)も同様のサービスを国内線&国際線両方で提供しています。今回は、サービスを提供している会社間でたまたま一番値段が安いということで、全日空(ANA)のキッズらくのりサービスを利用しました。

どんな流れだったかさらっとご紹介します。ちなみに、調べた限りでは、同様のサービスを提供している航空会社でも、流れは同じようなもののようです。ANAのサービスについての詳細はWebsiteをご参照ください→全日空(ANA)のキッズらくのりサービス

(1)予約&チケット購入:

予約は電話でのみ受け付けています。予約の電話のついでに色々疑問点を聞くと丁寧に対応してくださいます。ちなみに、チケット代は、大人料金(多くの航空会社も同様)。。。これを知った時、ちょっとお財布と胸が締め付けられました。

(2)出発空港にて:

  1. いつもよりちょっと早めに空港に到着し、発券カウンターへ。そこでキッズらくのりサービス利用に関する申込書と同意書を提出
  2. 「□時□分(出発時刻の大体45分前)までに、もう一度同カウンターへ戻ってきてください」と言われる。
  3. 家族全員緊張で、昼ごはんを食べていなかったので、ちょっとリッチに空港内のレストランでがっつり腹ごしらえ。娘は普通のようにふるまっているものの、表情はかなり緊張でこわばっていました。
  4. 発券カウンターへ戻る。そこに係員さんが迎えにくる。いよいよだ。。。どきどき。
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  5. 荷物検査場の前で、ANAの係員より、ここで送迎者とはさよならです、と言われる。搭乗口まで一緒に行けると思っていた娘と私は若干パニック。予想外の早い別れに、娘はすこしだけ涙。決して声を上げることなく、必死に涙をこらえようとしている娘をみて、笑顔で送り出そうと思っていた私も、耐えられず涙。。。

    それでも、力強くセキュリティを通っていった娘。

    Kindergartenで使っていたリュックをしょっていたのですが、2年前は、後ろから見ると、リュックが歩いているのではないかと見紛うくらい小さかった娘が、一杯につめられたリュックを背負って、後ろを振り向くことなくしっかりとした足取りで進んでいく姿に、改めて成長を感じ、のどの奥がずんっと響き、はたまた涙がぽろぽろ流れました。軟弱母ちゃんです。

  6. 飛行機出発するまで、何かあったときのために、空港にいてあげようということで、両親⁺新生児は、そわそわしながら空港で待機。出発したという表示を見て少し安堵して空港を後にしました。

(3)機内にて:

これは、娘からの伝聞ですが、寝とけばつくよ!と豪語していた娘も、やはり実際は、機内では緊張して眠ることはできなかったよう。しかも行きの飛行機では、少しだけ泣いてしまったとか。それでも、手をあげて、CAさんを呼び、ハグをしてもらったら落ち着いた、とのこと。

さらに、隣の香港人のお姉さんが、テレビをセットしてくれて、ディズニーチャンネルを沢山みることができたよ、と報告してくれました。

助けてくださった周囲の方に感謝すると同時に、泣きそうになって、「ピンチ!」と思ったときに、手を挙げてCAさんを呼ぶという解決策を自分で導いた娘にまた感心(親ばかですが)。

ちなみに、子供向けのお菓子や、おもちゃも用意されていて、少し泣いてしまったこと以外は、それなりにフライトを楽しめたようです。

(4)到着空港にて:

到着空港では、到着口→入国審査→荷物受け取り→税関審査をすべて係員に同行していただき、最後、到着ロビーまでこどもを連れてきていただけます。到着ロビーでは、送迎者のIDチェックをし、事前に登録していた人と同一人物か確認してから引き渡しを行ってくださいました。

お迎えにきていた祖母をみて、娘は、「おばあちゃん!」と言っていたものの、それでも、係員の方はきちんとIDチェックを行ってくださったようで安心安心。香港に戻ってきたときも、明らかにそっくりな親子ですが、送迎者である夫のIDを係員の方はチェックしていました。

ちなみに、そろそろ関西国際空港に娘の乗っている飛行機がつくであろうというとき、夫は、何度も何度も、娘に持たせたiPhoneの位置情報をFind my iPhone機能を使ってチェック。

「まだつかない」「まだ、携帯スイッチいれてないけど、大丈夫かな、、、」「まだついてないよ」「あ、今、携帯ONにした!」「お、ちゃんと関空にいるよ!」。。。

こんな会話(というか夫の独り言)が30分くらい続いていました。平然としているように見えて、一番不安で仕方なかったのは、実は、愛娘を送り出したパパさんだったのかもな、とこのときに思いました。意外とわたしは飛行機に乗った後はなるようにしかならない、と腹をくくっていてあまり動揺しなくなっていました。

◎ご参考◎私が調べたエアラインの同様サービスのリンクを以下のとおり列挙します。

送り出せた理由その③ 自己コントロール力

最後に送り出せると判断するのに必要だったのが、娘の「自己コントロール力」

ここで私が言っている自己コントロール力とは、、、

  • 相手の話を聞いて理解し、それに合わせた行動をとることができること。
  • 何かあったときに、ある程度自力で解決策を見出すことができること。そして、、、
  • 自分の身を自分で守れること。

これらの力がある程度備わったと判断したことも送り出せた大きな要因です。

「相手の話を聞いて理解し、それに合わせた行動をとること」については、「自由」の国アメリカの学校文化にどっぷり染まった娘でしたが、大量のルールを敷くことで良い成績を叩き出そうとする学校にいたこともあり(過去記事「スパルタ教育が格差をなくす?(~経済格差×教育格差に直面したNYその2~)」ご参照)、できるようになっていました。

「何かあったときに、ある程度自力で解決策を見出すこと」についても、大丈夫かなと思えました。というのも、日本を離れてから2年半、「主張」しなければ存在がないものとされる社会にいたせいか、何かあった時に「困った」「自分はこうしたい」といったことを主張できるようになっていたためです。例えば、親を見失って迷子になりかけたとき、半泣きになりながらも、近くにいた係員の人たちに自分の窮状を訴えていることができていたり。今回も、機内で泣きそうになった時に手を挙げてCAさんにハグをしてもらったというのも、その力をきちんと発揮できた一場面だったのではないかなと思っています。

そして、「いざというときに身を守れる」ということについては、まずは、危険を危険と認識できるようになってきたことが第一関門突破項目でした。

また、自分の体を良く知って対処できるようになってきた、というのもひとつの要素でした。ささいなことかもしれませんが、娘は、自分がエビに対してアレルギーがあるということを認識しており、アレルギーについて聞かれると、必ず自分はエビは食べてはいけない、と主張できるようになっていました。アトピー性皮膚炎があるのも認識しており、痒ければ薬を塗るというのもよくわかっていました。

また一番母親として心配だったのが、そして絶対に起こってほしくなかったのが、娘が、犯罪行為を巻き込まれてしまうこと。杞憂だといわれてしまえばその通りかもしれませんが、機内は暗くなることがあり、いくらCAの方々が注意を払ってくれているとしても、万が一ということはあり得ます。起こってからでは取り返しがつきません。

怖がるかもしれないということを承知の上で、飛行機に乗る前日に、隣に座った人や、近くにきた人が何か変なことをやってきたら、とにかく「NO!」って叫ぶか、走って逃げだしなさい、という説明をし、「NO!」と叫ぶ練習もしました。

それまで一人飛行機について「楽しみ」一色だった娘をあえて怖がらせることになってしまいましたが、それでも、楽しいだけではない、ということを認識させ、いざというときに自分の身を守るということを理解させるための大事なステップだったと今でも思っています(結果的には、周囲の人みなさんにやさしくしていただいて、単なる杞憂で終わってよかったです)。

まとめ

というわけで、6歳の娘を一人旅に送り出せた理由は三つ。親族のフルサポート、航空会社のサービス、そして娘の成長、でした。どれかひとつでも欠けていたら、とてもじゃないけど踏み出せなかった。

特に、三つめの「娘の成長」については、親である我々が冷静にこどもの成長具合を判断をすることが必要であると同時に、娘の成長を「信じる」ということも必要であり、そのバランスを適切にとることが何よりも重要だと痛感しました。これが本当に難しい。

かわいい子には旅をさせろ、とはいいますが、この諺がとっても深いものだと気づいた2015年冬。

さて、次回は、「6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話」シリーズの最終回。実際にやってみてどうだったかについて書いていこうと思います。お楽しみに。

おまけ

一人旅用に昔の私のiPhoneを渡し娘に持たせました。使い方の練習をしていた際の、娘と私とのSMSのやりとり。娘のどきどきが伝わってきます。

(娘)ハロー
(私)ハロー、どんな気持ち?
(娘)いいよ、だけど、ちょっと怖い。
(私)だいじょうぶよ。寂しいけど、あなたを誇りに思うよ!もう立派なおねえちゃんだね!

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親にとってだけではなく、当然6歳の娘にとっても、大きな大きな大冒険であることを改めて認識したやりとりでした。

6歳の娘がひとりで飛行機に乗って日本に行った話(上)

20160108_080814664_iOS明けましておめでとうございます♪今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

6歳娘の大冒険

さて、今回は、この冬休みの娘の大冒険について書こうと思います。

この冬、娘(6歳2ヶ月)は一人で飛行機にのり、香港から日本の祖父母の家に行き、再び一人で飛行機に乗り、日本から香港に帰ってきました。全部で14日間に及ぶ大冒険。しかも、クリスマス、年末年始、という一年でもっとも大事な時期をあえて、親元から離して過ごさせました。

共働きでも夏休みを有意義に過ごさせたい、と考えるときに、子供がひとりで飛行機に乗って移動できれば、こどものアクティビティの幅が一気に広がります。海外暮らしのおうちだけではなく、日本に住む共働きのご家庭にも参考になればと思い、なぜたった6歳の女の子を一人で送り出しのか、やってみてどうだったか、等について3回シリーズで書いていきたいと思います。今回は、「なぜ送り出したのか?」

なぜ送り出したのか?

なぜ6歳2ヶ月の娘を一人で送り出したか。

わたしは第二子を産んだばかり。最初、一人旅を考えたきっかけとしては、冬休み娘を日本で過ごさせたいけど、せっかく暖かい香港にいるのに、わざわざ寒い日本に2ヶ月になるかならないかの乳児を連れていくのが気が引けたというのがありました。しかし、それだったら家族そろって日本に帰る別のタイミングを探ればいいだけの話。娘をひとりで送り出した大きな理由はほかにありました。

送り出した理由その① 日本語のキャッチアップ(夏の長期帰国の予行練習)

-日本語に関する危機感-

3歳から海外で暮らしている娘。アメリカ生活の後半では、親に対しても英語で話しかけてきていました。娘の英語が聞き取れずに聞き返すことしばしば。日本語は、相当ふしぎなかんじになっていました。

ところが二年ぶりに日本に帰って一ヶ月過ごすと、日本滞在の後半には、なんと寝言が日本語に。2年ぶりに聞く日本語の寝言にびっくりしました。さすが、子供。短期間でも一気にキャッチアップするんです。日本への一ヶ月の滞在を挟んで香港に引っ越してからも、「日本語を話して日本語を保ちたい」とする意識が娘の中で芽生えたこともあり、親に対しては日本語を話すようになりました。

とはいえ、おそらく第一言語は、英語。英語の本は年齢相応のものがすらすら読めるけど、日本語になると難しい。日本語を話しているときは、英語が混じるけど、英語を話しているときは日本語が混じらない。

本人のやる気もあるので、日本語をキャッチアップするために、日本に送ることに。

-日本の公立小学校は体験入学を受け入れている-

あえて、親と離して送った理由はこれ。

じつは、我が家では、次の夏休み、娘を、日本の公立小学校に体験入学させようと考えています。

娘の現在通っている学校は6月後半から夏休みに入るため、日本の小学校に3週間ほど参加することができるのです。

海外で子育てをしている日本人の親は、よくこの制度を使って日本の小学校に送っているケースを聞きます。実際に、わたしの周りでも、長期休暇は日本の小学校や幼稚園に送っている人たちが結構います。公立だと、お金がかからないし、海外のバカ高いサマーキャンプにいれるよりも、コスパが良い&日本の文化や日本語を学べる、ということで、積極的に利用する親が多いようです。

すでに、我が家も、夫の実家の近くの小学校の校長先生にメールをし、入学許可を頂きました。念のため、わたしの実家の近くの小学校や娘の従兄(私の甥)の通っている小学校の校長先生にもコンタクトをする予定です。

我が家の場合、共働きなので、娘と一緒に日本にいけるのは、せいぜい数日~一週間。夫が「Work from Tokyo」(※パートナーの会社では、個別の事情に応じて、臨時で同じ会社の別オフィスからの勤務が認められたりすることがあります)を認められたとしても、せいぜい1週間が限度と思われます。

とすると、娘は一人で、祖父母宅に泊まり、従兄姉と同じ学校に通うということをやらなくてはならないわけです。この冬の一人旅は、そのためのウォーミングアップという位置づけでした。

送り出した理由その② 本人の希望

二つ目は、何よりも本人たっての希望があったから。その主目的は、キッザニア。夏の一時帰国のときにいった、キッザニア甲子園が楽しすぎて、しかももっとお金を稼ぎたくて、とにかくキッザニアに行きたいという強い要望がありました。

新生児がいるから、ママは一緒に行けないけど、それでもいい?と聞いても、「行く!」と。

その要望を受けて、父親と娘がスケジュールを話し合った結果、なんと2週間という長期に行くことに決めました(その結果を聞いたわたしは、クリスマス&年越しを娘と一緒に過ごせないと知り、、、寂しくて、涙。。。苦笑)

送り出した理由その③ 日本の文化に触れる

海外にいるとどうしても、日本の文化について疎くなります。

例えば、子供向けのアニメやキャラクター。香港でこそ、日本のキャラクターはよく見かけます(くまもんや妖怪ウォッチをよくみる)が、アメリカでは、せいぜいキティちゃんくらい。女の子ならディズニープリンセス、男の子ならスパイダーマン、バットマンかスターウォーズ一色です。季節の行事(お正月、節分、ひなまつり、こどもの日、、、等々)についても、親が頑張らねば、こどもに体験させてあげられません。しかも海外なので、日本でやるより、コストも手間もかかります。

渡米してしばらく、日本の文化に触れない生活をしていたところ、すぐに娘は、日本にあまり興味を持たなくなり、自然と日本語からも遠のいていきました。自分はアメリカ人だと固く信じていたほど。

しかし、昨夏の一時帰国の一ヶ月で、従兄姉たちと遊び、日本の文化にどっぷりつかった娘。特に、プリキュア(my世代でいうと、セーラームーンみたいなもの)が娘にささり、「日本、ちょっとcoolじゃん」と思ったかどうかは知りませんが、日本を再び離れた後も日本に対する興味が一気に深まりました。

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娘が、わけのわからない、キュアマーメイド、とか、キュアなんとか、とかプリキュアのキャラクターの名前をつぶやいていたのをみたとき、日本の文化に触れさせるには、やはり日本に送るのが一番効果的だと感じたのでした。おりしも、冬はお正月という一年で最も盛り上がる日本らしいイベントがあるわけで、良いチャンスだと思ったわけです。

さて、送り出したい理由はあっても、送り出せるかどうかは別問題。次回は、送り出せた理由について書きたいと思います。

=2015年総括=「ワーママだから得してるよね」にどう返す?

さて、2015年も残り一日を切りました(香港時間)。

今年1年を振り返ると、ニューヨークでの妊娠があったり、NYから香港への引っ越しがあったり、2年ぶりの日本滞在があったり、香港での出産があったり、と近年稀に見る盛りだくさんな一年でした。「盛りだくさん」事項のひとつに、このブログを始めて、継続してきたということもあげられます。

読んでくださった方、ありがとうございます!みなさんの「楽しみにしているよ」という声がブログを続ける最大の励みになりました。さて今日は2015年の総括ということで、このブログを書き続ける中で今年特に強くかんじていたことについて書こうと思います。

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ブログを始めたきっかけというのは、「ブログを始めるにあたって」にも記載しましたが、海外でのワーママ生活を経てはじめて気づいた、”「正解」に合うように行動しなければ非難される日本の社会”に一石を投じたかったというのがあります。この1年間は、特にそのことを考え続ける一年でした。

明らかに、「女性」や「ワーキングマザー」に風が吹いてる昨今。一方で、育児休暇を取得しようとする国会議員に対して非難の声があがったり、マタニティマークをつけるのを避けようとする風潮が出てきたり、「ママだからってなに?」みたいな記事が話題を呼んでみたりしていてあきらかに反発も生じています。

わたしも、こういった反発を受けているなと感じる機会がある一年でした。

「女だから/ワーキングマザーだから特別扱いされていいよね」という目に見える/見えない声を向けられると、打たれ弱いわたしは、その都度悩みました。それでも、しばらくすると開き直って復活する、というのを繰り返していた気がします。気持ちが前向きに復活するときに、いつも考える3つのことについて今日は書いてみたいと思います。

その1.「正解」から外れるということ

子供を持ち、専業主婦/主夫がいない中で家庭運営と両立させながら働くこと、これは、わたしの勤めるような伝統的な日本企業においては、「異質」なことであり、「正解」から外れることです。最近増えてきているケースとはいえ。。。

短期的にみてコストであり、リスクでしかない

異質な社員というのは、実は、会社にとって、短期的に見て、コストであり、リスクでしかないということ、わたしは、まず、このことを考えます。

同質の社員で構成されている組織のほうが、仕組みも単一ですみますし、意思決定もしやすい。

例えば、私のケースでいえば、産休、育休をとっています。今回の産休育休は、二回目。この期間、会社にとっては、なにも利益を生まない存在です。

子連れで社費留学をしています。夫も働く形で一緒に留学先に行き、社費留学をしているケースは社内初。子育てをしながらの留学であり、子供がいない、もしくは専業主婦/主夫を持つ社費留学生よりも勉強に避ける時間が短くなる蓋然性が高くなります。

留学が終われば、しっかり会社に貢献するかと思いきや、すぐに産休に入り、夫の駐在にくっついて香港に行く始末。

短期的に見てコストであっても与えらえるチャンス

コストでしかない、と思って、さらに落ち込め、といっているのではありません。

自分の存在が「短期的にみてコスト」でしかない、と再認識をすると、今度は、短期的にみてコストであっても、中長期的視点あるいは、もっと広い視野からたてば、利益に結び付くからこそ、チャンスを与えてもらっているのだ、と考える(開き直る)ことができるのです

短期的に見てコストであっても、産休育休の制度を整え、わたしのような共働き⁺子持ちの社員を社費留学に出しているということは、一見コストであっても最終的に利益に結び付く可能性がある投資だと考えられている(かもしれない)わけです。

利益というのはおそらく色んな形が考えられると思います。たとえば、子育て社員にチャンスを広げ、従業員の多様性を拡大することで、日本の大企業から真のグローバル企業への発展をはかる、といった利益かもしれませんし、女性の活躍推進をはかる政府の方針にのっとり先頭に立つことで日本を代表する大企業としてのレピュテーションを保持するといった利益かもしれません。もしくは、もっと単純な話で、これまで散々先行投資をして育ててきた社員を辞めさせ新たな社員を採用するコストと比較すると、既存の社員が生き残る道をとった方が利益がある、という話かもしれません。

いずれにせよ、”「正解」から外れて、コストやリスク要因になっても、なお与えられているチャンスなんだ”と思うと、落ち込んでいた気持ちも盛り返し、むしろ頑張って成果を出していかなければならないという気持ちになるんです。

その2.全員大なり小なり条件は異なる。男女の差ではないのだ。

基本後ろ向き&打たれ弱いわたしは、少し前向きになったところで、ただちに完全復活というわけにはいきません。

次に頭をよぎるのは、「女性であるから」「ワーキングマザーだから」与えられているチャンスであって、私「個人」の能力をもって与えられているチャンスではないだろう、という思い。

利益を生むと見込まれサポートされているのは、単に「女性」だからだろう、「ワーママ」だからだろう、という冷たい視線を受けたり、後ろめたい自分自身の思いにさいなまれたり。。。そんなとき、パートナーの言葉が有効でした。

「女だろうか、母親だろうが、男だろうが、父親だろうが、みんな条件が違うのは一緒だよ」と。

彼曰く、、、

「働く母親」と「そうじゃない社員」というファクターだけで判断しようとするから、そういった思いにとらわれるんだよ。入社するタイミングも、それぞれに抱えている要素も、全員違うのが当たり前。与えられる雇用条件やプロモーションの条件が異なるのだって当たり前。全員横並びであるべきという考え方の方が異常だよ。

今はたしかに「ワーママ」に風が吹いているかもしれないけど、そうでないときもあるし、ワーママであってもそうでなくても皆がそれぞれ風が吹くときとそうでないときがあるんだよ。吹いている風に乗って何がわるい。人より少し優遇されているということを悩んでいる時間があるほど、サラリーマン人生長くない。

僕のまわりをみてみると、30歳にもなれば、年収差なんて10倍以上の開きがあることなんてザラ。横並びであるわけがないし、横並びに見えるように、成功している人の足を引っ張るなんて、しょうもないこと。しょうもないことに耳を傾けたり悩んでいる暇があったら、吹いてきた風に乗って結果に結びつくように努力して、誰も何も言えないくらいの成果を出すべきだ。

、、、と。

その通りだ。

その3.「悪目立ち」することが、後人に道を開くことにつながると信じて。

それでもやっぱり、周囲の視線が気になります。「正解」から外れて、好き勝手やって、まわりに疎まれているに違いない、そう思う気持ちは、どんなにパートナーや友人に励まされても、都度都度頭をよぎります。

それでも、やっぱり「正解」から外れながらも頑張って前に進んでいこうと思うのは、私のやっていることが、後人に道を開くことだ、と信じているからです。

自分よりも優秀な人が、時代が少し違うだけで得ることができなかったメリットを、今のわたしが受けることができている。そうであるならば、そのメリットを生かして最大限の成果をあげ、つぎにつなげることが、いまの私の使命だと思うのです。

日本の会社の中で、人と違うことをやること、人と違うメリットを受けること、人と違う主張をすること、それは目立ちます。下手すると単なる「悪目立ち」。目立つと当然批判も出てきます。それでも批判を恐れて、何もせず、できる限り「正解」の枠組みの中で、波風をたてることなくワーママをやっていくことがわたしのしたいことか、というと、違うな、と思うのです。

「正解」から外れたってチャンスが与えられるなら、臆することなくTake chanceし、結果を残そう。自分の立場を冷静に見る目を常に持ちながら、批判に対しては適度に鈍感になりながら。そして自分の得てきた経験をできる限り発信することで、後人に道が開かれるかもしれない。そう考えることで、また前に進んでいこう、とそう思えるのです。

特に今年は、これらのことを何度も何度も考えた年でした。同じような悩みを抱えている方が特に今年は多いのではないかと思い、「=2015年総括=「ワーママだから得してるよね」にどう返す?」と題し、自分の中での気持ちの整理の仕方をまとめてみました。この思いを胸に、2016年、またしっかり頑張っていけたらいいなと思っています。

皆様良いお年をお迎えください。来年もどうぞ、本ブログをよろしくお願い申し上げます。

2015年12月31日20℃の香港より

母乳育児とワーママ~搾乳室の設営が促す(かもしれない)職場復帰の意欲~

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先日第二子が生後二か月を無事に迎えました。退院直後に高熱で入院したこと以外は、いたって順調にすくすく育っており、感謝の気持ちでいっぱいです。さて、今日のテーマは母乳育児(Breastfeeding)。

「ワーママ」が脚光を浴びる中、従来一般的だった1年間の産休育休ではなく、早期復職をはかるワーキングマザーも増えてきているのではないでしょうか。かくいう私も、第一子のときは生後6か月で復職。第一子のときの仕事再開の悩みの種のうちのひとつは、母乳育児をどうするか、について、でした。おっぱいの出もよかったし、第一子ということであらゆる部分で気合が入っていた(肩に力が入りすぎていた?)こともあり、母乳育児をやめたくなかった新米ママ。そこで、復帰直後は必死に冷凍母乳を保育園に持っていっていました。

冷凍母乳は、職場で搾乳。しかし、当時日本で働いていましたが、女子更衣室みたいなものはなく、ましてや搾乳室なんてものもなかったので、胸が張ってくると、女子トイレに行き、搾乳し、共有の冷凍庫に保管していました。搾乳機は会社に置いて置き、給湯室で搾乳に利用した哺乳瓶やキットを洗い、同僚のmyコップたちと一緒に並べておいて乾かしていました。

トイレで搾乳しているのをみてびっくりする方も多くいましたが、周りの人々の反応は温かったので、とくに困りませんでした。それでもトイレの隅で立って搾乳するのは、やはり周りの目が気になりましたし、衛生面も気になりました。搾乳につかった哺乳瓶を同僚の人のコップに並べて乾かすのも非常に気がひけました。

わたしのように「空気を読まない」社員だからやっていただけで、私以外に職場のトイレで搾乳している人に日本で出会ったことはありません。正直に言うと、「復職をしたいのならば、母乳育児はあきらめて、うまくミルクに切り替えるべし」というのが当時の私が日本で感じた無言の「空気」。結果的にだんだん職場での搾乳の数は減っていき、授乳は夜間のみというかたちになっていきました。

母乳育児支援が強い香港

というわけで、第二子を授かってから産後の仕事のことなどを考えるときは、「今回は、こだわりを捨てて、早いタイミングからさっさとミルクにきりかえよー」と思っていました。

ところが、香港に来ると、びっくりするほど、全力で、母乳育児を推奨されました。致し方ない場合はもちろん人工乳(Formula)を利用してください、という姿勢は日本と一緒なのですが、母乳へのこだわりは並々ならぬものを感じました。

産前から、母乳育児の重要性の資料が大量に渡され、待合室では、母乳育児は家族を巻き込んでとりくみましょうといった趣旨のビデオが延々と流れていました。(いずれも香港政府プロデュース) 20151227_043114379_iOS20151227_043619594_iOS20151227_043629968_iOS

産後も、母乳育児の指導はきめ細やかになされ、母乳育児用のホットラインまで。

わたしは最初の数日間母乳の出が良くなかったのですが、そうすると、母乳指導専門の看護師さんが出てきて、授乳の方法を手取り足取り教えてくれて、ひいては、後日電話がかかってきて、母乳育児がうまくいっているかのフォローアップまでなされました。

しかも、気合で乗り切れ!みたいなものではなく、搾乳機をうまく利用し母乳をストックし、夫もうまく利用しながら(笑)やっていきましょう、という感じで、非常に好感が持てるスタンスでした。

香港政府が公式ガイドブックとして母乳育児の重要性を積極的に流布している姿勢も、日本の政府のスタンスとどこか違う様相を呈していて、香港でこどもを出産してあらためて母乳育児について考えさせられるに至っています。

日本よりも母乳育児が注目を集めるアメリカ

超合理主義の国アメリカでも、復職するのならばミルク(Formula)に切り替える、というのが当然だろうと思っていました。というか、そもそも「母乳育児」が日本ほど重視されていないのではないかと思っていました。

実際さっさとミルクに切り替えるお母さんもいました。ところが、香港だけでなく、アメリカでも、母乳育児の重要性が改めて認識されつつあるようで、母乳育児に対する意識は思ったより強かったです。

米国の政府機関は毎年母乳育児に関する実態調査のレポート(Websiteはこちら)を出しており、積極的に母乳育児を推奨しています。かたや日本では、インターネットでぱっと探した限りでは、2007年に「授乳・離乳の支援ガイド」を出して以来、厚生労働省は、纏まった報告書やデータを公表しているわけではなさそうです。

(たくさん調査をしてレポートを提示すればいいっていうもんじゃないですが、それでも、こういった公表データや指針の数は、母乳育児に関する国としての関心の高さを感じるひとつの指標である気がします。)

搾乳機が身近なアメリカ&香港

母乳育児への関心の高さは、「搾乳機」への「距離感」からも感じ取りました。香港でも、アメリカでも、搾乳機が身近な存在。少なくとも、6年前の日本に比べると圧倒的に搾乳機が身近です。

6年前、私は前述のとおり、medelaの搾乳機を二台も購入し、職場と家でそれぞれ積極的に利用していましたが、周囲で搾乳機を利用している人はあまりいませんでした。今はわからないですが。。。

アメリカでは保険の内容によりますが、保険でmedelaの搾乳機をタダで購入できます。ベビー用品ショップでも、搾乳機の棚がかなり広いコーナーを占めていました。

母乳育児をただ推奨するだけでなく、そのために母親が大変な苦労をしないように合理的な体制を整えようとする様子が搾乳機への距離感?からも感じ取れました。

なんと母乳育児法が整備されているニューヨーク

さらに驚くべきことに、NY州では、いわゆるBreastfeeding Lawが整備されています。それに加えて、母乳育児をしたい母親のために、職場は支援体制を整えるべし!というガイドラインまで!!!!!(ガイドライン原文はこちら→Guidelines Regarding the Rights of Nursing Mothers to Express Breast Milk in the Work Place

その内容は、というと、、、

法律にはこう書かれています。

「Right of Nursing Mothers to Express Breast Milk. (育児中の母親が搾乳をするための権利)

An employer shall provide reasonable unpaid break time or permit an employee to use paid break time or meal time each day to allow an employee to express breast milk for her nursing child for up to three years following child birth. The employer shall make reasonable efforts to provide a room or other location, in close proximity to the work area, where an employee can express milk in privacy. No employer shall discriminate in any way against an employee who chooses to express breast milk in the workplace.

(雇用主は、従業員に対して、その従業員の子供が満3歳になるまで搾乳をできるようにするために、合理的な無給の休憩時間を与えるか、もしくは、従業員が有給の休憩時間または食事時間を搾乳のために利用することを認めなければならない。雇用主は、職場に近接するところに、従業員がプライバシーを保ちながら搾乳できるための部屋もしくは場所を設置する合理的努力をしなければならない。雇用主は職場で搾乳をすることを選択する従業員をいかなる方法でも差別してはならない。)」

わたしにとって、この法律は衝撃でした。すごいな、ニューヨーク、と素直に思いました。

この法律について知ったきっかけは、NYの子育て中の友人が、勤め先の法律事務所には搾乳室があるよ、と教えてくれたことがきっかけです。聞いてみると、搾乳室が実際に設置されている会社は多いようです。米国企業である夫の会社にも、「僕は知らないけど、あるらしいよー」と。

搾乳室の設置がワーママの職場復帰を促すかも?

前述したとおり、産後の復職を考えるとき、ひとつの悩みの種が母乳育児である私にとって、職場復帰をしても、母乳育児を続けられる体制が整っているというのは、復職のための大きな動機づけになります。

母乳育児にこだわりすぎる必要はないと思いますが、搾乳室があったり、搾乳機が手に入りやすかったりするだけで、母乳育児を続けたいと願うワーキングマザーの選択肢がぐっと広がるし、職場復帰へのハードルを下げるのではないでしょうか。

単に母乳育児がいいですよー、と宣伝するだけではなく、社会全体で母乳育児へのハードルが下がるようにサポートすること、これが今の日本には求められている気がします。

喫煙室を設けるスペースがあるなら、搾乳室を設ける会社が日本でも増えてくれるといいなあ。。

色々なクリスマス@New York & Hong Kong

20151225_132606794_iOSHappy Holidays! Merry Christmas!

さて、今日は、クリスマス。

昨年の今頃は、ニューヨークで、Radio Cityのショーを見たり、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを眺めたり、観光客であふれる五番街の各店舗のイルミネーションを堪能しながら、氷点下の中を歩いていました。

今年は、香港。昨日(クリスマスイブ)なんて、半袖姿で、のどかわいたーといいながら公園を散歩。人生何がどうなるかわからないものです。

国際都市といえども、クリスマスの様相はかなり異なる香港とニューヨーク。東京ともまた違ったクリスマスの様子を少しばかりご紹介♪

Merry ChristmasかHappy Holidaysか

親子で居候 in NY with イスラエルファミリーその③~ユダヤ教とイスラエル~でも記載しましたが、ニューヨークのこの時期の合言葉は、メリークリスマス!ではありません。クリスマスと同時期に行われる、ユダヤ教のお祭りハヌカーや、アフリカンアメリカンの新年の儀式クワンザに配慮して、”Happy Holidays!”が、ハイセンスな(?)合言葉。

さて、同じ国際都市の香港は、、、というと、Happy Holidaysは殆ど聞きません。どこにいっても、Merry Christmas!

ニューヨークでは赤と緑の装飾品売り場の横に、ハヌカー用の青と白と銀色の装飾品売り場が併設されていましたが、香港では全く見かけず。ユダヤ教のお祝いハヌカーのシンボル?でもあるメノラーも町中では全くみません。

香港で、家族写真を使ったクリスマスカードを作った際も、テンプレートにほとんど「メリークリスマス」の文字があり、Happy Holidaysはごくわずか。ユダヤ人の友人知人にもカードを送りたかったので、選択肢が限られていました。やはり、”Happy Holidays”はJewishが多いNYならではなのかもしれませんね。

「中国風」?のクリスマス

さて、香港のクリスマスは、イルミネーションや装飾が、どことな~く「中国風」のところが多い。。気がする。。。赤と金が基調となり、派手。ビクトリアパークでは、大規模な見本市が開かれていて、大晦日のアメ横を彷彿とさせます。

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日本と近いなあと思ったのが、クリスマスイブとクリスマスには、おしゃれなレストランやホテルでクリスマス用の特別メニューや特別ビュッフェなどが提供され、気合をいれたアジア人でにぎわっているということ。どちらかというと、クリスマスは家族で家で過ごすという印象が強かったNYとは、この点少し違うなあと感じます。

郷に入っては郷に従え、わたしも夫の背中をせっつき、豪華ビュッフェに参戦してきました。へへへ。

本物のモミの木があちらこちらに

「中国」色、「アジア」色が強い、香港でも、さすがはイギリスの元植民地。「クリスマス」はしっかり根付いておりまして、12月25日は祝日。町を歩くと、あらゆる人が、「Merry Christmas!」と声をかけあっています。

さらに、感動したのが、モミの木。

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NYでは、Thanksgiving(感謝祭)が終わる頃から、道のあちらこちらで、モミの木が売られます。たくさんのモミの木が道端に立てかけられて、皆品定めをして家に持って帰る。大きいものは、2メートル超。我が家も昨年購入し、リビングルームがモミの木の匂いでいっぱいに。

12月に入っても、半袖サンダルで大丈夫だった南国香港では、まさか「寒いところ」専門のものであるモミの木にお目にかかるなんて思っていなかったのですが、ある日、我々の住むアパートのロビーを通ると、ふと懐かしいにおい。においのほうを振り返ると、本物のモミの木が。その後気づけば、ショッピングモールなどあちらこちらで、本物のモミの木に香港でもお目にかかることに。

やはり世界中から駐在員=expatが集い、世界中から色んなものを輸入している香港。モミの木だってお目にかかれるのでした。

ニューヨーク、香港、東京、それぞれ似ているようで、少しずつ違うクリスマス。それでも、「宗教」という枠組みを超えて、みながハッピーで少しだけ浮足立っているようにみえるのは、三都市共通★みなさま、素敵なクリスマスを★★★

=戯言コラム=美白重視はアジアだけ⁉~色黒の苦悩in香港~

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香港にきて、しばしば思うのは、ああ、日本と同じ文化圏に戻ってきちゃったな~ということ。何が、というと、美容について。

おそらく、香港だけでなく、アジア各国に対して、日本は、間違いなくカルチャー発信地になっていると思います。アメリカでは一切お目見えしなかった日本の商品、会社、あらゆるものが、香港では目に留まります。雑誌だって、そこらへんのカフェで、日本のファッション雑誌の広東語バージョンが置いてあったり。

なかでも化粧品。資生堂、カネボウをはじめとし、日本ブランド目白押し。アメリカで入手できなかった愛用コスメ(Shu Uemura)も香港では手に入ります(香港で買うと高すぎて、実際には手を出していませんが)。

そして、アメリカ生活で2年間忘れ去っていた「美白”命”」文化も、化粧品やファッションと一緒に日本から流れ込んでおります。化粧品コーナーでは、最前線に美白用の化粧水が並べられており、広告のモデルたちも美白、美白、美白。

ああああ、色黒&細かいお肌ケアが苦手なわたしは、もうがっかりです。

アメリカでは

アメリカでは、「美白」という概念になかなかお目にかからず、でした。日焼け止めもあるし、こどもたちも塗るように推奨されているけれども、種類はそんなに豊富ではなく、日焼け止めは美白を保つものではなく、あくまで「火傷ひいては皮膚癌を防止するもの」!!

夏に日傘をさしている人なんて、ほぼいない。ちなみに、暑いフロリダにいったときも、日傘をさしている人は一人もみなかった。夏でも、日焼け防止のために、帽子をかぶっている人も殆どおらず。帽子はあくまでファッションの一環。

友達家族に誘われて、避暑地の別荘にいったときも、そこに来ていたゲスト(全員白人)はこぞって、少しでも日焼けをすべく日光を探して寝そべる。イタリア人の友人も太陽の方角に体の方向を都度変えて日焼け。

同僚と話をしたときも、「日焼けは健康的だよ!」と。

日本人の両親を持つ、アメリカ人の友達に、誰も、美白とか気にしてないよねーといったら、「美白を気にしてるなんて、日本、韓国、中国とかの東アジア圏だけじゃない?」と。

というわけで、ニューヨークでは完全に開き直った私。地黒なのに、がんばって色白を目指しても、得られる結果はたかが知れていて、コスパがよろしくない、と感じ、美白を追及するためにいちいち気を遣うのが、昔から面倒くさくて好きではなかった私は、ここぞとばかりに、特に気にせずに、平気で太陽の下に出ていきました。日焼け止めは「気持ち」塗る程度。笑

結果的にメラニン色素が、どんどん生成され、元来の「濃い目」の顔立ちも相まって、日本人の風貌から離れ。。。ひいては、日本食レストランで、日本語で友人と話しているのに、英語で店員さんに話しかけられるまでになっていました。

日本&香港にて

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そんなこんなんで、日本に帰ると、会う人、会う人、第一声は、「ティモン、焼けたね!!!」 化粧品コーナーでファンデーションを買おうとしても、「お客様は、お肌が薄暗くていらっしゃいますので」。。。

自分の色黒を実感させられ、一気に、見た目の相対評価が落ちた気が。香港でも、まわりを見渡すと綺麗に美白を追及した人たちばかりで、日本人なのに色黒の私は浮き気味です。すっぴんで、家の外にでると、フィリピン人のヘルパーに間違えられることも。

というわけで、香港にきて、再び、日傘を持ち、帽子をかぶりはじめた私。日焼け止めも、また、塗りはじめました。

周りに流されなきゃ、いいじゃん、と言われりゃ、そりゃそのとおりなんですが、郷に入っては郷に従え。アジアに入っては、美白を目指せ。色黒の苦悩カムバック、そんな日々です。