ベビーカー論争に思うこと

 

たぶんアメリカにきてからだと思いますが、Yahoo!ニュースをみていてちょくちょく「ベビーカー論争」が取り上げられていて、読むたびに、いやーーーーな気持ちになっていました。そんな中、Facebook上で、日本の朝の情報番組で、電車の中でこどもに席を譲ってくれと座っている大人にお願いするのはありかなしか、という議論がなされていた、ということについて投稿されている記事を見ました。たぶんこの番組のことかと思うのですが。http://news.livedoor.com/article/detail/9995911/

なんだか黙っていられなくて書きます。

まずはベビーカー論争。なんでそんな論争が起きるんでしょう。理解ができない。こどもも大人も高齢者も健常者も障害者も、社会の構成員であり、ともに生きているわけです。当然みな同じように公共機関を利用する権利がある。決められた運賃を払っていればそれを阻むものなんてないはず。

ベビーカーは赤ちゃんにとって、母親にとっての足です。重要な外出のツールです。どうしてそれを公共機関で使うことに対して議論が生じるのか。足が不自由な人に車椅子に乗って電車に乗るな、そう言っているのと同じくらい恥ずかしい議論だとわたしは思うのです。
抱っこ紐を使いなさいって?!抱っこ紐を使えないくらい荷物を抱えていたらどうしたらいいでしょうか?抱っこ紐を使えないくらいお母さんがつかれきっていたら?抱っこ紐ってけっこうつらい。批判するあなたは、かなりの重さのあかちゃんを抱っこし続けたことありますか、あかちゃんの荷物と自分の荷物を持って。揺れる車内でバランス取り続けたことはありますか。

昔はベビーカーなんてつかってなかったって?昔と今を比べてどうするんですか?おばあちゃまがおっしゃる体験談でしたら聞きます。昔の女性はすごいですから彼女たちの体験談は、いつだって示唆に富んでいますし、私たちの社会を作ってきてくださった方々への、私たちを産んで育ててくださった方々への最大の敬意を表して拝聴すべきだと思います。でもだからといって、「昔はこうだったから」といって現在でもなおその昔の慣例に従うべき話でもないはずです。社会はいつだって変化していく。ベビーカーは苦しんでいた親を救うものだったからこれだけ普及したのであって、その状況を受け入れないでどうするんですか。昔は抱っこ紐を使っていたのだから今だって当然それくらいの負担を親は負うべきだと強固に主張する人は、昔は携帯なんてなかったんだから、使わないで社会生活を営んでみてください、できますかと言って差し上げたい。

電車にのる時間帯を選びなさいって?なぜ?!なぜほかの人と同じように公共機関を利用する権利のある人が、マイノリティであるからという理由だけで自分の利用したい時間帯をあえてずらさなければならないのでしょう?

周囲に迷惑なのを踏まえて可能な限り周囲に迷惑をかけないように行動しろ、という。そりゃそうです、周囲に迷惑をかけるのは人としてできるだけ最小限にとどめるべきです。でも、わたしは思うのです。どうして、そもそも、ベビーカーが「迷惑」なんでしょうか。そんなことより、よっぽど、下品な車内広告のほうが迷惑。汗でワイシャツがびしょびしょになっているおじさんのほうが迷惑。どぎつい香水をつけている人のほうが迷惑。車内で平気でスポーツ新聞を広げてアダルトページをみている人のほうが迷惑です、わたしにとっては。

ベビーカーはただそこでちょっと場所をとっているだけです。何十人分でもない。たった二三人分。それだけ。でもベビーカーを利用することで、親の行動範囲は広がります。疲労だって軽減できます。ゆれる車内でのこどもの安全だって確保できるんです。なぜその行為が迷惑にあたるんでしょうか。順番に列に並んで電車に乗っているのです。それで乗れない人がいたら、その人は並ぶのが遅かっただけです。次の電車に乗ればいい、それこそ、早めに並ばなかった自己責任じゃないでしょうか。

冒頭の「こどもに席を譲ってとお願いするのはありかなしか」の話にもふれます。ここであげられている芸能人の意見はあくまで親の視点からのもの。だから、べつにこの芸能人のコメント自体はどうでもいいです。厳しく子供をしつけられていて結構なことですね、と思います。でも、こどもがあきらかにダダをこねている場面でどうして周囲の人は自発的に席を譲ってあげないのでしょうか、とおもうのです。

「小さい子供がいるから」という理由だけで大きな顔をする親はどうかと思います。わたしの言いたいポイントはそこではありません。子連れの人がいるときの周囲の反応があまりにも冷たすぎる、ということなのです。こどもは弱者であるのだから、ベビーカーが場所をとってもいいよね、小さい子供が電車でつらそうだったら席を譲ってあげてもいいよね、そういうやさしい視線がどうして少ないのだろうと思うのです。子供に対するやさしい視線があったら、ベビーカー論争なんて生まれるわけないと思うのです。

ニューヨークにきてから、私は子連れで地下鉄をしょっちゅう利用します。そして、長時間地下鉄を利用するときで、座席から見える位置にたっていると、特に混雑した車内では、席を譲られなかったことはなかったと思います。腕中刺青だらけの、2メートルくらいの身長のでっかいこわーいお兄ちゃんも平気で席を立ちます。こどもと電車にのっているとき、席を譲られかけ、「あと一駅だから結構です、ありがとう」と断ることもしょっちゅうなんです。

 

でもニューヨークの社会が、東京の社会よりも、一般的に「やさしい」かというと、自信をもって答えます。Noです。道行く人は冷たいし、接客なんて日本と比べ物になりません。でも、こと、弱者である「女性・子供」に対しては、圧倒的に東京よりもあたたかい気がするのです。地下鉄で席を譲られるのもそう。レストランでも、子供が泣いていてうるさい、なんてクレームがあるなんてあんまり聞いたことありません(高級レストランではそもそもこどもNGの場合は予約をとれませんがこれは日本でも同じ)。飛行機などで荷物を上にしまうことができなくて右往左往していると必ず誰かがたすけてくれます。ベビーカーで地下鉄への階段を上り下りするのを複数の人が手伝う様子もよく見ます。

ニューヨークの地下鉄は本当にひどいんです。まず、くさいし汚い。ねずみがそこらじゅう走っている。ホームレスもたくさんいるし、(おそらく薬のせいで)ぶつぶついっている人もしょっちゅう見かけます。乗客も、いきなり車内でポールダンスをはじめたり、歌い始めてお金をもらう人も多。電車は時間通りこないし、突然、普通列車が急行列車になったり。車内放送も乱暴で聞き取るのが困難。休日いきなり電車がなくなる。大きな駅でも駅員はむちゃくちゃ少ないし働かないこと多々あり。エレベーターやエスカレーターなんて、日本の各駅に比べると全く整えられていません。すなわち、大前提として東京の方が、圧倒的にインフラは優れているし、そこで働いている人もすばらしい、乗客もすばらしくマナーを守る人たちです。だからこそ、女性・こどもに対する冷たさが際立ち、ひいてはベビーカー論争なんかがネット上で議論されている、恥ずかしい以外なにものでもない状況が日本で生じていると知りがっかりするのです。

なんでこんなこっぱずかしい議論が生じるのかなあと思う中で、ふと思ったのは、日本では、「こどもというのは大人に服従するものである」という考えが根底に流れているのかなという気もします。強者である大人は弱者であるこどもを守る存在である、よって大人の方が子供よりもえらい、だからこそ、こどもは大人のルールに従うべきなのである、という考え方。一方でアメリカは、こどもは弱者であり、大人のルールに従うということがそもそも難しい存在である、だからこそ強者である大人が我慢できるところはするべきなのである、という考え方。もちろん極端な言い方だと思いますが、しつけの仕方の違い、教育プログラムの違いをみていても、そういった類のそもそもの考え方の違いが感じ取れる気がします。

人種差別、貧富格差が激しいこのニューヨークの社会がこれだけ子供にやさしいのに、インフラ、サービスあらゆる側面でニューヨークよりもよっぽど住みやすいと思う自分の大好きな母国ではベビーカー論争なんてものが大々的に議論されてしまっている子供に冷たい社会である、ということを突きつけられた記事でした。どうか、日本を離れているせいで、私がちゃんと現状を把握できていないだけであってほしい。私の杞憂であってほしい、と切に願うのです。

 

12 Comments on “ベビーカー論争に思うこと

  1. 中国も同じです。地下鉄では間違いなく席を譲られ、レストランに行くのに子供OKか確認する必要なく、サービスは愛想ないし悪い。
    中国人はマナーが…とかいいますが、弱い、大変な人には優しい、つまり人らしい感情がある、つまり本当に優しいと思います。
    日本人は、サービスなど人目や評価を伴うものには素晴らしいけど、本当の心の優しさはどうかなと常々思ってます。

  2. Nakaさん、コメントありがとうございます。中国もそうなんですね。弱者に優しくするというのは欧米諸国の文化に起因するものかと思ったりもしていましたが、中国がそうであるとすると、日本人の弱者に対する冷たさには、また違った要因がありそうですね。興味深いです。

  3. 激しく同感です!
    確かに汚く不便なNYの地下鉄だけど、東京では気を遣ってやたらと疲れるので敬遠していた電車での子連れでのお出掛けが、NYに来てから苦でなくなりました。ハード面の不便さよりもこうしたソフト面での優しさの方が私には大きかったです。社会がそれを許容しているという雰囲気が、親にはとてもありがたい。
    それから、NYでは年齢問わず男性は女性と子供を守るべき、手を差し伸べるべき、という空気を感じます。たとえかなりの年配の男性でも、にっこり笑って私に席を譲って下さったり。東京では、赤ちゃん連れのラッシュ時の電車では、男性サラリーマンの冷たい視線が本当に痛かっただけに、大きな違いを感じます。

  4. junkoさん、うん、全くそのとおりだと思います。この違いは何から来てるんだろうと思うけれども、答えが出せないでいます。最初は、儒教文化から来るものかな、とも思ったけれども、それもなんか違う気もするし。。。

  5. Pingback: アメリカ人の爆笑を誘ったマタニティマーク。その先に見えるもの。 | 海外でもワーママ生活

  6. Pingback: ニューヨークが与えたこどもの変化-一時帰国中の子供を通じて見えた日米の文化- | 海外でもワーママ生活

  7. 僕は交通事故のあと半年間松葉杖で歩いていましたが、この半年間ほぼ毎日電車に乗っていて電車で席を譲って頂いたのは3回だけです。
    強面で丈夫そうな体格だからかもしれませんが、揺れる時などなかなか難しいです。けが人にこれだし、優先席で寝たふりキメれば譲らなくても気がつかなかったということでしょうが、東京はまずこんなもんです。
    NY、ヨーロッパ、中国、韓国は仕事でよく行きますが、こんな感じで酷いのはダントツに東京です。関西ではこれほどではないと思います。

  8. HIKOさん

    コメントありがとうございます。半年間松葉杖で、席を譲ってもらったのが3回だけっていうのは悲しいですね。涙。
    関西は、たしかに東京と違う空気がながれていますよね。子連れで歩いておばちゃんに声をかけられる頻度は、びっくりするくらい多いです★

  9. NYの地下鉄事情を知らないので的外れかもしれませんが…。

    東京の通勤ラッシュは諸外国と比較しても相当なレベルと聞きます。もちろん身動きは取れませんし電車の揺れと共にもの凄い圧力に潰されそうになる事もしばしばです。

    そういうレベルの通勤電車にベビーカーで乗り込む事は、乗っているお子さんにも周囲の人にも危険ではありませんか?という議論だと思うんです。
    例えば隣の人と肩が触れ合う程度の混雑率150%程度の乗車率であれば、ベビーカーに対して文句を言う方もいないと思います。

    あと「日本ではこどもは大人に服従するものという考え方」との事ですが、それは少々的外れかと思います。日本人はとてもシャイな民族です。見知らぬ他人との関わりを避ける傾向が高いだけであって、弱者の方に手を差し伸べる事のできる人はたくさんいますよ!東京の通勤ラッシュでの経験だけを材料に日本全体の社会批判をされるのはいささか行き過ぎかと思うのは私だけでしょうか?

    テレビ等における「ベビーカー論争」は、迷惑だからという切り口だけでなく、こどもや周囲に危険が及ぶレベルの混雑である、という側面も踏まえるべきかと考えますが、いかがでしょうか?

  10. 通りすがりさん

    コメントありがとうございます!

    たしかに通勤ラッシュ、日本ほどすごいのには、私はのったことはありません。香港も朝は結構混みますが、それでも、あそこまで寿司詰めになることはありません。特に中高6年間、当時、都内最恐のラッシュをほこる埼京線に乗り続けていたので、あの大変さ、そして危なさは身に染みて知っています。なので、ああいった混雑の中に赤ちゃん連れベビーカーを乗っけるのは危険だというのは、そういったご意見があるのは、そうだろうなという気がします!ただ、当時記事を書いたときは、危険性の観点からの議論というよりは、もっと単純に「邪魔、迷惑だ」という論調に寄った議論が多かった気がしたように記憶しています。だからこそこのような記事をかいて問題提起したかったというのがその心です◎

    だからこそ、今回いただいたコメントのようにご指摘いただくのも本当にありがたいです。わたしの記事をきっかけに色んな人が議論して、問題を真剣にとらえて考えて、よりよい社会になっていくといいなあとおもっているので、今後ともぜひよろしくお願いします。

  11. 日本人の冷たさについて、もちろん、そうじゃない人もいる、とはいう前提で。
    日本人って、察するとか、迷惑をかけないとかを植え付けられてきてます。
    なので、察するべき、迷惑をかけないべき、が強い。
    そして、無意識のうちに、それが我慢になっている。
    我慢することが当たり前…迷惑をかけないために、目立たないために。
    そうすると、迷惑をかけている(と思う)、我慢してない(と思う)人に腹立たしさをおぼえるわけです。
    自分はこんなに我慢してるのに、アイツは何やってるんだ?!って。
    でも、自分は我慢してるのに、はカッコ悪い。
    だから皆に迷惑かかるじゃないか、と理論転換。
    ポールダンスしたり歌ったりしてる人がいるのと比較していただくとわかりやすいかと。

    あと、危険とか言ってるのもナンセンスですよね。
    危険性が問題だとしたら抱っこ紐という提案は出てこないはず。
    なので、上に同じく、「皆に迷惑」を危険性に転換しただけです。

    義務感で察したり我慢するのやめたらいいだけなんですよ( ̄▽ ̄)

  12. 流れものさん、

    返信遅くなりました!そしてコメントありがとうございます!そうですね、おっしゃるとおり、「察する」ことが強く求められているなあと思います。それが強さである部分もあると思いますが、ほかの人に対する期待値もあがっちゃって、窮屈になっちゃうことも多いですよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です