「日本出身」力士優勝のニュースをみていて思ったこと

20160201_063322936_iOS一週間、もうすぐ3か月になろうとする長男を親族に見せるため、娘と長男をつれて日本に帰国していました。大寒波の中、関空から入り、関西、岡山をまわり、吹雪の福井に入り、埼玉、東京に移動し、成田から帰ってきました。二人の子を一人で抱えながら回るのはなかなかチャレンジングでしたが無事に当初の予定をすべてこなし、一安心です。

さて、一時帰国中は、「飢えていた」日本のテレビを、時間があれば見ていました。というか、気合を入れてみなくても、つけていれば自然と耳にニュースが入ってきていました。ああ、日本語って本当にラク。。。(ちなみに、話題のSMAPの謝罪会見だけは、15分前からテレビの前で待機して見ましたが。。。)

そんな中、ふと気になったニュースがありました。それは、10年ぶりの日本出身力士の優勝で盛り上がった琴奨菊の初場所制覇

琴奨菊の優勝自体はとてもすばらしいことだと思います!琴奨菊は私と同い年なので、なおさら、そのような偉業を成し遂げるのはすごいなあと思いますし、これからも頑張れ!と思いますし、ひさしぶりの日本出身力士の優勝で、日本出身力士が勇気づけられたり、国内での相撲人気が高まったりすればそれはそれで、良いことだろうなと思っています。

一方で、ニュースでは、日本出身をことさらに強調しすぎではないかな、と、ふと思ったのも事実です。20160201_063338888_iOS

「外国人」ってなんでしょう?「日本人」ってなんでしょう?

 

渡米して、さらに、香港にきて、自分自身が「外国人」になってはじめて、そういったことをよく考えるようになりました。

ニューヨークでも、香港でも、出会う人の多くが、自分の国籍×持っているパスポート×親の国籍×生誕地×第一言語×保有している永住権が、点でバラバラでした。

両親は日本人でも、自分はアメリカで生まれ、英語が第一言語で、配偶者はイタリア人で、こどもは、イタリアと日本とアメリカの三つのパスポートを持っている、とか。中国で生まれてアメリカに移住し、アメリカで市民権を取得して中国国籍を放棄し、香港にきて今度は香港の永住権を取得することを考えている、とか。両親は中国からカナダへの移民一世で、自分はカナダ人で、こどももカナダ人だけど香港に住んでいてフランスの定住権がある、とか。

最初こそ驚きましたが、出会う人出会う人、誰ひとりとして同じバックグランドを持っていないといっても過言ではないのでいまでは全く驚かなくなりました。

みな違うけれども、みな自由な空気を吸ってニューヨーカーの顔をして生きている。仕事で、英語が出来なくて感じる苦痛は大量にありましたが、「外国人」だから感じた苦痛はなかった。それが私にとってのNYでした。

一方、日本では、、、自身は日本国籍×持っているパスポートは日本のみ×両親は日本人×生誕地は日本×第一言語は日本×永住権は日本のみ、という人が大半で、ひとつの要素が違うと、それだけで「ちょっと違う」日本人、とみられるふしが強いのではないでしょうか。ミス・ユニバース日本代表にハーフの女性が選ばれて物議をかもしたりするのもそのひとつの現れだと思いますし、今回の琴奨菊のニュースの取り上げられ方も、そのひとつだと思うのです。

外国で暮らし、英語のコミュニケーションひとつとっても、超超超苦労しているわたしからすれば、外国人力士たちって本当にすごいと思うのです。通訳もつけずに、見事に日本語を使いこなすだけでなく、伝統と格式という名の大量のルールが存在する角界という世界で、そのルールを学び、理解し、従い、そして結果を残していく。そんじょそこらの努力じゃできません。国籍こそ違えど、彼らのやってきた努力や残してきた結果というのは、わたしなんかよりもよっぽど、「日本人」らしいことだという気がするのです。

それでも「外国人力士」と「日本出身」力士に区別される。なんか違和感がわたしにはあります。

一方で、日本国籍を持っていなくても「日本人」としてニュースで大々的に取り上げられる人もいます。例えば、2014年度に青色発光ダイオードで有名な中村修二先生がノーベル物理学賞を受賞したときのこと。中村先生の受賞は、「日本人」受賞として大いに盛り上がっていましたが、一方で、中村先生はアメリカ国籍を有しており、日本国籍は持っていないはず。。。ということが話題にあがっていたことが記憶に新しい方も多くいらっしゃるのでは。

中村先生の受賞は、日本で生まれ育って日本の中で研究を続けてこられた結果だということで、「日本人」受賞なのである、というのは、わかる気がします。でも、そうなのであれば、日本の文化にどっぷり身を置き、切磋琢磨し、結果を残した力士を「外国人」か「日本人」かで区別し続けるのは、なんでかなあと思うわけです。

そうして、つくづく、日本人の中の、「日本人」と「外国人」ってなんなんだろうって思ってしまうのです。(日本出身かそうでないかで、体格の差などが生じ、日本人が勝ちにくくなっているからこそ、それを日本出身かどうかを区別して語ることに意義はあるのかもしれませんが、それでも、この「区別」はそういった体格差の話だけではないと思うのです。)

わたしが一番相撲を熱心に見ていたのは小学生の頃で、ちょうど、曙、小錦、武蔵丸、など、ハワイ出身の力士たちが若貴兄弟と熱い火花を散らしていた頃でした。なので昔から「外国人力士」に親しみを持っていました。幼心に、小錦と武蔵丸の愛嬌のある顔が好きで、応援していました。(曙はなんとなくこわかった。。。)思えば、それも20年くらい前の出来事。そう考えると、実は、20年以上前から角界というのは、グローバル化が進み、その中で日本の伝統を守り抜いてきた、日本社会全体でみると最先端の組織なのかもしれません。

そんな組織だと思っていたからこそ、いまさら、”「日本出身」力士の優勝”でことさらに沸き立っている様子をみたら、なんだかひどく寂しい気持ちになりました。

2 Comments on “「日本出身」力士優勝のニュースをみていて思ったこと

  1. サッカーでも野球でも地元のチームや自分の国の代表が勝つと嬉しい、それと同じだと思います。

    外国人力士が初めて優勝すれば生い立ちや日本での苦労が特殊されることはよくあるますし、日本人力士としてニュースが多くなるからといって外国人が排斥されているというわけではありません。

    特に寂しくなることだとは思わないです。

  2. すずきさん、
    コメントありがとうございます。弟にも似たようなことを言われました。確かに、オリンピックやW杯で日本代表を応援するのと同じ話なのかもしれませんね。外国人力士を排斥しているというわけではない、というのもおっしゃる通りだと思います。甲子園で出身都道府県の高校を応援するようなものかな。。出生地や国籍といったものにかかわらず皆がニューヨーカーとして生きていた町の自由さにつかりすぎていたせいか、センシティブになりすぎていたのかなあ。。。とすずきさんのコメントを拝見して考えています。

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